2006年01月03日

信濃

大和型戦艦と言うと大和、武蔵を直ぐに思い浮かべますが、実はもう1隻、姉妹艦が存在します。その名は「信濃」。信濃は大和型戦艦の3番艦として昭和15年(1940年)5月4日に横須賀海軍工廠で起工されました。

信濃は予定通り建造されれば「戦艦信濃」として就役するはずでしたが、ある事件により信濃の運命が一転します。昭和17年(1942年)6月5日、ミッドウェー海戦にて大日本帝国海軍は主力空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)を一度に喪失してしまったのです。そのため、帝国海軍は喪失した空母の補完をする必要に迫られ、大和型戦艦3番艦として建造中だった信濃を急遽空母に改装することとしたのです。

昭和17年(1942年)6月、信濃の戦艦から空母への改装工事が開始され、昭和19年(1944年)10月8日に進水。同年11月19日に「空母信濃」として就役しました。空母信濃は大和級戦艦の船体をそのまま使っていたため、基準排水量62,000トン、全長266メートル、全幅38メートル、飛行甲板256メートルという、当時は史上最大の空母でした。

さて、空母信濃は横須賀海軍工廠で建造されましたが、昭和19年になるとアメリカ軍による空襲が激しくなり、横須賀に停泊していては空襲で損傷する可能性が出てきました。そこで昭和19年(1944年)11月28日、空母信濃は横須賀海軍工廠から呉海軍工廠へ回航するために横須賀を出港しました。しかし出港直後からアメリカ海軍潜水艦の追跡を受け、11月29日、浜名湖南方176キロにてアメリカ海軍のガトー級潜水艦アーチャーフィッシュの雷撃を受け損傷。同日潮岬沖南東48キロの地点で転覆し沈没しました。

大和型戦艦の船体を使った史上最大の空母信濃は、潜水艦の魚雷数本であっけなく沈没してしまいました。戦艦大和、戦艦武蔵が受けた魚雷、爆弾の数と比べると比較にならないくらい少ない被害です。空母信濃がこんなにもあっけなく沈没してしまったのは、突貫工事で建造されたため防水試験がまともにされていなかったこと、艤装工事途中での出港だったため艦内にケーブル類が引き回されており、防水扉を閉めることができなかったこと、乗組員の訓練が全く出来ていなかったことが原因と言われております。

大和型戦艦3番艦として起工されながら空母に改装された信濃。連合艦隊旗艦になることも出来ず、ひっそりと短い生涯を終えた日陰の花・・・。戦艦大和、戦艦武蔵には空母信濃という姉妹艦がいたことを、時々思い出してあげて下さい。

posted by 公爵 at 15:28| Comment(6) | TrackBack(0) | 艦船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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