2006年11月22日

三景艦

明治時代、帝国海軍は清国の戦艦「鎮遠」、戦艦「定遠」に対抗するため、戦艦並みの口径の主砲(32センチ砲1門)を搭載した巡洋艦を3隻建造しました。艦名は「松島」、「厳島」、「橋立」。いずれも日本三景である陸奥松島、安芸厳島(宮島)、丹後天橋立から名を取ったことから、これらの艦は「三景艦」と呼ばれました。

この三景艦の凄いところは、巡洋艦に戦艦並の主砲を搭載したことで、三景艦が搭載した32センチ砲(1門)は、清国の戦艦「鎮遠」、戦艦「定遠」の30.5センチ砲(4門)を上回る口径でした。三景艦は日清戦争、日露戦争において活躍しましたが、巡洋艦の小さな船体に巨大な32センチ砲を搭載したため、主砲の発射は出来るものの命中率は非常に悪く、命中弾はなかったそうです。むしろ副砲として搭載した速射砲と、巡洋艦としての快速性が海戦で一番役に立ったそうです。

なお、三景艦の1番艦「松島」の32センチ砲は後部甲板、2番艦「厳島」、3番艦「橋立」の32センチ砲は前部甲板に設置されています。これは、三景艦で艦隊を組んだ場合、32センチ砲の死角がなくなるようにするための工夫と言われております(厳島と橋立を前方に配置し、松島を後方に配置する逆三角形の陣形を取ると、32センチ砲の死角がなくなる)。

<公爵の独り言>
艦船設計はやはりバランスが重要ですね。

posted by 公爵 at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 艦船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

帝国海軍戦艦の厳しさ

帝国海軍において戦艦は全海軍の中心であり、その乗組員は全海軍の模範となることを求められました。そのため、戦艦における規律、訓練の厳しさは他の艦艇の群を抜いていました。それを示す標語をいくつかご紹介します。

・鬼の山城、地獄の金剛、音に聞こえた蛇の長門。

・日向行こうか、伊勢行こか、いっそ海兵団で首吊ろか。

・地獄榛名に鬼金剛、羅刹霧島、夜叉比叡。

・乗るな山城、鬼より怖い。

このように、戦艦は恐ろしいところだと言われても、戦艦勤務を希望する人は多かったようです。やはり有名な艦に乗艦した方が、故郷でも鼻が高かったのかもしれませんね。

上記標語に出てくる山城、金剛、長門、日向、伊勢、榛名、霧島、比叡は全て戦艦の艦名です。大和、武蔵は新しいから仕方がないとして、扶桑、陸奥が出てきませんね・・・。扶桑、陸奥が登場する標語をご存じの方、よかったらお教え下さい。宜しくお願い致します。

posted by 公爵 at 21:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 標語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

呉の雪風、佐世保の時雨

帝国海軍には、僚艦が被害を受けながらも自艦はほとんど被害を受けず、ほぼ無傷で生還する幸運な艦艇がありました。特に有名だったのが、駆逐艦「雪風」と駆逐艦「時雨」です。それぞれの母港の名を冠して、

呉の雪風、佐世保の時雨

と呼ばれ、有名だったそうです。ただ、雪風と時雨が幸運艦と呼ばれる反面、雪風と時雨と行動を共にする他の艦艇は被害を受けることが多いので、雪風と時雨は他の艦艇の乗組員からは「死神」と呼ばれ、恐れられたそうです。

<公爵の独り言>
ちょっと怖いジンクスですね。

posted by 公爵 at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 標語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新郎の祖父は雪風乗組員

インターネット上の掲示板サイト「2ちゃんねる」。ここに時々投稿される帝国海軍関係のエピソードを紹介します(改行等は読みやすくするために多少手を加えております)。
私がホテル勤めをしていた頃の話。ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。

一通りの祝いの言葉の後に、 自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。たとたどしくですが話されました。

同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、新郎は小声で「雪風です」。それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで我先に駆け寄り服の切れ端を毟り取りおじいさんは丸裸になってしまいました。
この話は、「新郎の祖父は大和乗組員」の改変ジョークとして「2ちゃんねる」で出回っていたものです。この話はジョークですが、元ネタはちょっと真面目な話です。

新郎の祖父は大和乗組員(元ネタ)
http://navalland.seesaa.net/article/18635881.html

この改変ジョークで登場する「雪風」は帝国海軍の駆逐艦で、主要な海戦に参加しながらいつもほとんど無傷で生還する幸運艦として有名だった艦艇です。戦艦大和の沖縄特攻の際も大和の護衛艦として参加し、大和が撃沈された後、生存者の救出をして本土に帰還しております。雪風は終戦まで生き残り、連合国側から最優秀艦と賞賛されました。そして戦後は中華民国(台湾)海軍に引き渡され、艦名を「丹陽」と改め、昭和41年(1966年)まで中華民国海軍の旗艦として活躍しました。

このように非常に運が強い艦艇だったので、同じ船乗りである海上自衛官が、その御利益に預かりたいと元雪風乗組員のおじいさんの服の切れ端を我先に毟り取ったというジョークです。

なお、雪風はどんな海戦でもほぼ無傷で生き残るので幸運艦と呼ばれていますが、その代わりに、雪風と一緒になった他の艦艇は被害を受けることが多く、雪風を「死神」と恐れる乗組員もいたそうです。戦艦金剛、空母信濃、戦艦大和が沈没した時も、その護衛艦の中に雪風がいたそうです・・・。

posted by 公爵 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(1) | 2chコピペ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新郎の祖父は間宮乗組員

インターネット上の掲示板サイト「2ちゃんねる」。ここに時々投稿される帝国海軍関係のエピソードを紹介します(改行等は読みやすくするために多少手を加えております)。
私がホテル勤めをしていた頃の話。ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。

一通りの祝いの言葉の後に、自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。たとたどしくですが話されました。

同僚達は満腹だったらしくゲップをしていたのが、段々腹が減っていき神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、新郎は小声で「間宮です」。

それを聞いた海自組一同、すっ転ぶような勢いで駆け寄り羊羹やラムネをねだりました。おじいさんも美味しいアイスクリームやラムネを与えました。

披露宴の料理はその後は誰も手を付けませんでした。ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
この話は、「新郎の祖父は大和乗組員」の改変ジョークとして「2ちゃんねる」で出回っていたものです。この話はジョークですが、元ネタはちょっと真面目な話です。

新郎の祖父は大和乗組員(元ネタ)
http://navalland.seesaa.net/article/18635881.html

なお、この改変ジョークで登場する「間宮」は給糧艦として活躍した艦で、様々な食品をこの艦で作って艦隊に補給していました。特に間宮の羊羹は美味で有名だったそうです。

間宮の羊羹
http://navalland.seesaa.net/article/9832408.html

posted by 公爵 at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 2chコピペ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月15日

特攻機の命中率

旧帝国陸海軍が太平洋戦争末期に行った航空機による体当たり攻撃(所謂「特攻」)の命中率が、米国立公文書館に保管されている米軍機密資料で明らかになったそうです。

Yahoo!ニュース −時事通信− 11月15日7時1分
旧日本軍の航空特攻作戦、命中効果率は56%=予想以上の戦果
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061114-00000162-jij-int
 太平洋戦争末期、劣勢の旧日本軍が多用した航空機の体当たりによる米艦への特攻作戦で、米軍が至近自爆を含む特攻機の命中効果率を半年間で56%と算定し、日本側推定を大幅に上回っていたことが、米国立公文書館に保管されている米軍機密資料で分かった。日本側は特攻初期のフィリピン海域での特攻命中率を26〜28%と推定していた。
 戦史家の原勝洋氏が入手したこの資料は、未公開分を含む米側撮影の特攻写真340枚とともに、15日発売の「写真が語る『特攻』伝説」(原勝洋著、KKベストセラーズ社)で公表される。
命中率56%・・・。これはかなりの脅威ですね。米軍が特攻機を恐れるわけです。特攻により命を失った日米双方の将兵のご冥福をお祈り致します。

posted by 公爵 at 10:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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