昭和17年3月26日、南雲中将率いる機動部隊(航空母艦:赤城、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴 注:加賀は修理中)はインド洋に進出。昭和17年4月5日にイギリス海軍の巡洋艦コンウォールと巡洋艦ドーセットシャーを発見し、これに対し九九式艦上爆撃機53機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機)を攻撃に向かわせました。この攻撃隊はほぼ全弾をこの2隻の巡洋艦に命中させ、巡洋艦ドーセットシャーを攻撃開始からわずか13分で撃沈、巡洋艦コンウォールも攻撃開始からわずか18分で撃沈しました。この攻撃における爆弾の平均命中率は88%と言われております。まさに神業です!
そして昭和17年4月9日には、イギリス海軍の航空母艦ハーミスと護衛駆逐艦3隻を発見。これに対し九九式艦上爆撃機85機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機、瑞鶴14機、翔鶴18機)と零式艦上戦闘機6機(蒼龍3機、飛龍3機)を攻撃に向かわせました。航空母艦ハーミスはこの航空攻撃であえなく撃沈。この攻撃における爆弾の平均命中率も高く、82%であったと言われております。
このように、太平洋戦争開戦当初の航空機搭乗員の錬度は非常に高度で、まさに「神業のレベル」でした。しかしこのような熟練搭乗員が度重なる作戦で消耗するにつれて、爆弾や魚雷の命中率、搭乗員の帰還率が極端に低下し、最後には航空機による体当たり攻撃(いわゆる特攻)に頼らざるを得なくなったのは実に残念なことです。