2006年09月16日

渡洋爆撃

渡洋爆撃とは、文字通り海を越えて敵国を爆撃することです。

第一次世界大戦においてドイツ帝国がツェッペリン飛行船でイギリス空襲をしたり、第二次世界大戦においてナチス・ドイツ(第三帝国)が爆撃機と戦闘機、V2飛行爆弾(ミサイルのようなもの)を使ってイギリス空襲をしています。しかしドーバー海峡(イギリスとヨーロッパ大陸間の海峡)は最狭部34kmと非常に狭い海峡であるため、現在これのことを渡洋爆撃と呼ぶ人はあまりいないと思います。

一般的に渡洋爆撃とは、日中戦争(北支事変、支那事変、日華事変)において大日本帝国海軍が中国(中華民国:蒋介石政権)の都市部に対して行った長距離爆撃のことを指します。大日本帝国海軍航空隊は多数の陸上攻撃機(九六式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機)を使い、日本本土(九州)の航空基地から東シナ海を越えて中国の都市を爆撃しました。九州から中国沿岸まではおよそ1,000km。このような長距離爆撃は世界初のことで、全世界の注目を浴びたそうです。なお、日本が中国沿岸部を占領し、そこに航空基地を設置してからは、日本本土からの渡洋爆撃は行われなくなりました。

ついでなので、中国沿岸部に移動してからの帝国海軍航空隊の活躍についてちょっと言及しておきます。帝国海軍航空隊は、その後も中国の蒋介石政権の息の根を止めるべく南京や重慶などに爆撃を行っていました。この頃、航空隊の司令をしていたのが、有名な山口多門提督や大西瀧治郎提督です。勇壮果敢な航空攻撃は、当初は赫赫たる戦果を上げていました。しかし英米の支援を受けた中国の迎撃戦闘機が活躍するようになってくると、防御性能が劣る九六式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機は次第に被害を受けるようになってきました。また、当時帝国海軍で使われていた戦闘機は九六式艦上戦闘機でしたが、陸上攻撃機に随伴するには航続距離が足りなかったので、敵戦闘機の攻撃から陸上攻撃機を護ることが出来ませんでした。この問題の解決のために開発が急ピッチで進められたのが零式艦上戦闘機(いわゆる零戦)です。後に零式艦上戦闘機は護衛戦闘機として陸上攻撃機に随伴し、敵戦闘機を圧倒的な優位で制圧、中国で初陣を飾りました。

なお、帝国海軍で言う「陸上攻撃機」(通称:陸攻)とは、「陸上を攻撃する航空機」ではなく、「陸上基地で運用する攻撃機」を意味します。そして帝国海軍で言う「攻撃機」とは「艦船に対する魚雷攻撃と水平爆撃が可能な航空機」を意味します。ですから、航空母艦で運用する攻撃機は「艦上攻撃機」(通称:艦攻)と言います。また、帝国海軍で言う「爆撃機」とは、「急降下爆撃が可能な航空機」を意味します。これも同じく、陸上基地で運用する爆撃機は「陸上爆撃機」、航空母艦で運用する爆撃機は「艦上爆撃機」(通称:艦爆)と言います。

posted by 公爵 at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 航空機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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