2006年11月22日

新郎の祖父は雪風乗組員

インターネット上の掲示板サイト「2ちゃんねる」。ここに時々投稿される帝国海軍関係のエピソードを紹介します(改行等は読みやすくするために多少手を加えております)。
私がホテル勤めをしていた頃の話。ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。

一通りの祝いの言葉の後に、 自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。たとたどしくですが話されました。

同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、新郎は小声で「雪風です」。それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで我先に駆け寄り服の切れ端を毟り取りおじいさんは丸裸になってしまいました。
この話は、「新郎の祖父は大和乗組員」の改変ジョークとして「2ちゃんねる」で出回っていたものです。この話はジョークですが、元ネタはちょっと真面目な話です。

新郎の祖父は大和乗組員(元ネタ)
http://navalland.seesaa.net/article/18635881.html

この改変ジョークで登場する「雪風」は帝国海軍の駆逐艦で、主要な海戦に参加しながらいつもほとんど無傷で生還する幸運艦として有名だった艦艇です。戦艦大和の沖縄特攻の際も大和の護衛艦として参加し、大和が撃沈された後、生存者の救出をして本土に帰還しております。雪風は終戦まで生き残り、連合国側から最優秀艦と賞賛されました。そして戦後は中華民国(台湾)海軍に引き渡され、艦名を「丹陽」と改め、昭和41年(1966年)まで中華民国海軍の旗艦として活躍しました。

このように非常に運が強い艦艇だったので、同じ船乗りである海上自衛官が、その御利益に預かりたいと元雪風乗組員のおじいさんの服の切れ端を我先に毟り取ったというジョークです。

なお、雪風はどんな海戦でもほぼ無傷で生き残るので幸運艦と呼ばれていますが、その代わりに、雪風と一緒になった他の艦艇は被害を受けることが多く、雪風を「死神」と恐れる乗組員もいたそうです。戦艦金剛、空母信濃、戦艦大和が沈没した時も、その護衛艦の中に雪風がいたそうです・・・。

posted by 公爵 at 20:47| Comment(1) | TrackBack(1) | 2chコピペ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新郎の祖父は間宮乗組員

インターネット上の掲示板サイト「2ちゃんねる」。ここに時々投稿される帝国海軍関係のエピソードを紹介します(改行等は読みやすくするために多少手を加えております)。
私がホテル勤めをしていた頃の話。ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。

一通りの祝いの言葉の後に、自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。たとたどしくですが話されました。

同僚達は満腹だったらしくゲップをしていたのが、段々腹が減っていき神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、新郎は小声で「間宮です」。

それを聞いた海自組一同、すっ転ぶような勢いで駆け寄り羊羹やラムネをねだりました。おじいさんも美味しいアイスクリームやラムネを与えました。

披露宴の料理はその後は誰も手を付けませんでした。ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
この話は、「新郎の祖父は大和乗組員」の改変ジョークとして「2ちゃんねる」で出回っていたものです。この話はジョークですが、元ネタはちょっと真面目な話です。

新郎の祖父は大和乗組員(元ネタ)
http://navalland.seesaa.net/article/18635881.html

なお、この改変ジョークで登場する「間宮」は給糧艦として活躍した艦で、様々な食品をこの艦で作って艦隊に補給していました。特に間宮の羊羹は美味で有名だったそうです。

間宮の羊羹
http://navalland.seesaa.net/article/9832408.html

posted by 公爵 at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 2chコピペ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月13日

今も日本人を護る英霊達

インターネット上の掲示板サイト「2ちゃんねる」。ここに時々投稿される帝国海軍関係のエピソードを紹介します(改行等は読みやすくするために多少手を加えております)。
2−3年前の今頃の読売新聞・朝刊の国際面の片隅に掲載された怪事件。

南シナ海で海賊船団に襲撃されていた大型貨物船の船員がみた怪奇談。全速推進蛇行運転で逃げ切ろうとする貨物船。自動小銃や機銃を発砲しながら追いすがる海賊船団。そこにいきなりフッと現れた、太平洋戦争時から抜け出してきたような日本帝国海軍旗をつけた、駆逐艦(?)。予期せぬ重武装軍艦の出現に海賊船団は恐慌を来たして逃げ去った。貨物船が危機を脱したのを見届けた日本帝国海軍(?)幽霊駆逐艦(?)は現れたときと同じように忽然と姿を消したそうだ。
太平洋戦争中、米英を中心とする連合国軍は日本の補給路を断つために日本の輸送船を襲撃しました。これに対し、日本は制空権を失っていたために輸送船の護衛が出来ず、多くの輸送船と護衛の艦艇(駆逐艦や海防艦)が日本に辿り着くことなく撃沈されました。今回紹介した一件、英霊達がかつて出来なかった船舶護衛を今でもやっているように思えてなりません・・・。

posted by 公爵 at 01:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 2chコピペ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月31日

新郎の祖父は大和乗組員

インターネット上の掲示板サイト「2ちゃんねる」。ここに時々投稿される帝国海軍関係のエピソードを紹介します(改行等は読みやすくするために多少手を加えております)。
私がホテル勤めをしていた頃の話。ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。

一通りの祝いの言葉の後に、 自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。たとたどしくですが話されました。

同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、新郎は小声で「大和です」 。それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。おじいさんも見事な答礼を返されました。

私はその後は仕事になりませんでした。ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
先の大戦において、家族のため、故郷のため、日本のために命を賭けて戦った方々がいます。輸送船に乗り組み、敵潜水艦・敵航空機の跳梁する制海権・制空権のない海で物資を輸送した方々。武装なんかほとんど積んでいない漁船に乗り組み、敵艦隊・敵航空機を早期発見するための哨戒任務に携わった方々。戦艦大和、その他軍艦、艦艇の乗り組みに関わらず、我々後世の者のために命を賭けて下さった海の男たちに感謝したいと思います。

posted by 公爵 at 08:59| Comment(9) | TrackBack(1) | 2chコピペ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

佐久間艇長の遺書

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明治43年4月15日、6号艇と呼ばれる小型潜水艇が瀬戸内海において内燃機関による潜航走行実験中に(今日のシュノーケル走行)事故のため沈没し、佐久間艇長以下14名の殉職者を出すという事故が発生した。その後浮上させた艇内より、艇長の遺書とも言える手記が発見された。

その浮力を失い海底に鎮座せる艇内で、迫り来る死と直面しながら書き綴られた文面には、沈没の原因とその対策に始まり、今後艇の改善を要する諸点、更には潜水艇乗員として必要な沈着冷静にして勇敢な、資格条件などが綿々と書き記され、最後に、部下は冷静忠実に職務を全うし、責任は全て自分にある事を示唆し終わっていた。

イギリスの新聞、グローブ紙は「この事件でわかることは、日本人は体力上勇敢であるばかりか、道徳上、精神上も、また勇敢であるということを証明している今も昔もこのようなことは前例がない」と褒め称えている。そして各国の駐在武官は詳細な報告を本国に伝えるとともに、海軍省をおとずれ弔意を表明していった。

これらは通常の外交儀礼を超えたものであり、また明治天皇からは遺族に見舞金が届けられるという特別の計らいがとられた。朝日新聞によって集められた義援金には現在の価格なら億単位となる5万6千円ものお金が全国から寄せられたという。いまはこの事件を知るものも殆んどいないが、当時は世界中に伝えられ、日本人の勇敢さを示した佐久間勉氏と十三人の乗組員のことを知ってもらいたいと思う。

佐久間艇長の遺書

小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す、誠に申し訳なし、されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り沈着に事をしょせり。

我れ等は国家のため職に倒れ死といえどもただただ遺憾とする所は天下の士はこれの誤りもって将来潜水艇の発展に打撃をあたうるに至らざるやを憂うるにあり、願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされん事を。

さすれば、我ら等一つも、遺憾とするところなし。
先人のこの責任感を見習いたいものです。

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沖縄特攻に感謝

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会社の同僚と俺の幼馴染の家に行った。そこのじい様がもう寝たきりで、離れにいるとか言う話を友人が話した。で、軍人だったじい様の語った自慢話やらほら話を友人がしゃべっていた。

その話を興味深く聞いたり笑ったりして聞いていたのだが、じい様が乗っていた船が大和と一緒に沈められたと聞いたとき、同僚の顔が変わった。同僚は立ち上がり、「じいさんに挨拶させてくれ」と、友人に言った。戸惑いながらも友人がじい様の離れに案内した。同僚は枕もとに正座して、起きているか寝ているのか解らないじい様に語りかけた。

「自分は**君(じい様の孫)の友人で、沖縄出身のXXといいます・・・。みんなを助けに来ていただいて、ありがとうございました。」

別段気負うことなく言い切り、同僚は深々と一礼。じい様がかすかにうなずいたように見えた。そのじい様は、どうやら「矢矧」乗り組みだったらしい。

半年後そのじい様は亡くなった。お通夜には、あの時と変わらず自然体で焼香をする同僚がいた。カッコよかった。

10年前の出来事です。
先人に感謝する気持ち・・・。大切にしたいものです。

posted by 公爵 at 08:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 2chコピペ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月08日

漁民を救った帝国海軍

インターネット上の掲示板サイト「2ちゃんねる」。ここに時々投稿される帝国海軍関係のエピソードを紹介します(改行等は読みやすくするために多少手を加えております)。
日本海軍は北洋警備・北洋漁業保護の為に、最旧式駆逐艦を以て編成する駆逐隊の一隊(定数四隻、司令は大佐または古参の中佐)を毎シーズン派遣しておりました。

國民性なのでせうか、蘇聯は昔から露骨な國で、我が駆逐隊が漁業海域に到達し警備任務に就くや、日頃横暴なる蘇聯艦艇も、途端に猫の如く大人しくなりました。だから駆逐隊は毎度漁民から熱狂的大歓迎を受けたものですが、必要に応じ、戦隊若くは艦隊を神速に派遣することも行はれたやうです。

父の友人に「ひうらさん」といふ越後人がありました。生きて居られればゆうに百歳超えませう。明治の御代に雪の越後を後にして、刻苦勉励、数多辛酸を嘗め、戦後は小金持になり、銭湯など経営して世を終へられました。この御仁が、大正の末か昭和の初め、蟹工船に乗組んで北洋漁業に従事してゐた時の話です。

氷濤の中、果敢に操業してゐた或日、突然蘇聯の警備艦艇に謂れ無く拿捕され、乗組員一同、浦塩に聯行、抑留されました。此処までは今日と同じです。取調べは惨たらしいもので、生きて再び日の目を拝めるかと思った程ださうですありもせぬ犯罪事實の自白を強要され、半殺し状態で朝を迎へ、再び鐵格子の中から引き出されました。

いよいよ殺されるかと半ば覚悟した途端、何故か赤魔官憲の態度が掌を返す如くに豹変し、捜査は打切り、無罪放免、露西亜紅茶まで振舞はれてにこやかに釈放するではありませんか。解き放たれたひうらさん達は警察署だか獄舎だかの外へ出ました。天然の港町なら大概、地形的に港へ向って傾斜し、海側の眺望が開けているものです、半信半疑の儘、ともかくも港へ向はむとふらつく脚を海へ向けました。その瞬間、何故、助かったかが判りました。

沖には日本海軍の大艦隊が間近く展開し、旗艦たる巡洋艦以下、各艦砲身を陸に向け、砲門を開き、その強大な攻撃力は毎分幾百幾千發ぞ、陛下の赤子にかすり傷だに負はせなばウラジオストックそのものを消滅させんばかりの圧倒的武威を以て、ソヴィエト社會主義共和國聯邦を威圧して呉れてゐたのです。旭日の軍艦旗の何と美しく、浮かべる城の何と頼もしかったことでせう。皆、感泣しました。鋼鐵の艦体に頬ずりしたい思ひで・・・。ひうらさんは無事、日本に帰りました。

取るにも足らぬ漁舟の、僅かな人数の乗組員の為に、大國相手の戦争をも辞せず、瞬く間に艦隊を繰り出して救出してくれた祖國日本の親心に酬いる為にも、なほ一層仕事に励み、三代の御代を生き抜き、東京都江戸川区小岩の自邸で、四半世紀ほど前に大往生を遂げられました。勤倹貯蓄、關東大震災の前の歳に買ったといふ革靴を、靴底だけ張替へ張替へして生涯穿き続けました。

「贅澤をする金があったら海軍に献金でもせい!」
今の日本にも、これくらいの気概が欲しいものです。

posted by 公爵 at 22:10| Comment(1) | TrackBack(2) | 2chコピペ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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