2008年10月13日

晩餐会の席順

戦前、大日本帝国海軍のある軍艦上で晩餐会が開かれました。その席順をみると、妙なことがあります。上座から階級が高い順に着席しているのですが、大佐よりも階級の低い大尉が、大佐よりも上座に着席しているのです。

●通常の席順(序列)
 [元帥][大将][中将][少将][大佐][中佐][少佐][大尉][中尉][少尉]

●この晩餐会での席順(序列)
 [元帥][大将][中将][少将][大尉][大佐][中佐][少佐][中尉][少尉]

軍隊においては階級が絶対です。上官を差し置いて上座に着席することはとんでもないことです。普通なら鉄拳制裁モノです。しかし、大尉も、他の士官も平然としています。一体どういうことなのでしょう?

種明かしをしますと、実はこの大尉、華族出身で男爵の爵位を持っているのです。そして、晩餐会においては軍の階級ではなく宮中席次に従って着席することになっています。そのため、大尉は男爵(宮中席次第36)として大佐(宮中席次第40)よりも上座に着席することができるのです。

以下に華族と武官の宮中席次を簡単に纏めてました。

<華族の宮中席次>
公爵:第一階 第16
侯爵:第二階 第22
伯爵:第三階 第28
子爵:第三階 第31
男爵:第三階 第36

<武官の宮中席次>
元帥:第一階 第5(親任官)
大将:第一階 第10(親任官)
中将:第二階 第19(勅任官:高等官一等)
少将:第三階 第24(勅任官:高等官二等)
大佐:第四階 第40(奏任官:高等官三等)
中佐:第五階 第46(奏任官:高等官四等)
少佐:第六階 第51(奏任官:高等官五等)
大尉:第七階 第55(奏任官:高等官六等)
中尉:第八階 第58(奏任官:高等官七等)
少尉:第九階 第62(奏任官:高等官八等)

これを見ると、華族はデフォルトで大佐以上の宮中席次を保有していることがわかります。こう書くと、華族の特権という見方も出来ますが、ちょっと考え方を変えると、平民でも頑張れば、一代限りではあるけれど華族より上位の宮中席次を保有することが出来ることがわかります。宮中席次・・・実に面白いシステムだと思います。宮中席次については以下のサイトに詳しく記述しておりますので良かったらご覧下さい。

サウスアイランド公国 宮中席次
http://www.h3.dion.ne.jp/~duke/imperial/imperial1.html

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2008年08月03日

歴代海軍大臣一覧

大日本帝国海軍の歴代海軍大臣一覧です。

【初代】
氏名階級:西郷従道中将(陸軍)
在職期間:1885年(明治18年)12月22日〜1886年(明治19年)7月10日

【第2代】
氏名階級:大山巌中将(陸軍)
在職期間:1886年(明治19年)7月10日〜1887年(明治20年)7月1日

【第3代】
氏名階級:西郷従道中将(陸軍)
在職期間:1887年(明治20年)7月1日〜1890年(明治23年)5月17日

【第4代】
氏名階級:樺山資紀中将
在職期間:1890年(明治23年)5月17日〜1892年(明治25年)8月8日

【第5代】
氏名階級:仁礼景範中将
在職期間:1892年(明治25年)8月8日〜1893年(明治26年)3月11日

【第6代】
氏名階級:西郷従道中将(陸軍)
在職期間:1893年(明治26年)3月11日〜1898年(明治31年)11月8日

【第7代】
氏名階級:山本権兵衛中将(海兵2期)
在職期間:1898年(明治31年)11月8日〜1906年(明治39年)1月7日

【第8代】
氏名階級:斎藤実中将(海兵6期)
在職期間:1906年(明治39年)1月7日〜1914年(大正3年)4月16日

【第9代】
氏名階級:八代六郎中将(海兵8期)
在職期間:1914年(大正3年)4月16日〜1915年(大正4年)8月10日

【第10代】
氏名階級:加藤友三郎中将(海兵7期・海大1期)
在職期間:1915年(大正4年)8月10日〜1923年(大正12年)5月15日

【第11代】
氏名階級:財部彪大将(海兵15期)
在職期間:1923年(大正12年)5月15日〜1924年(大正13年)1月7日

【第12代】
氏名階級:村上格一大将(海兵11期)
在職期間:1924年(大正13年)1月7日〜1924年(大正13年)6月11日

【第13代】
氏名階級:財部彪大将(海兵15期)
在職期間:1924年(大正13年)6月11日〜1927年(昭和2年)4月20日

【第14代】
氏名階級:岡田啓介大将(海兵15期・海大2期)
在職期間:1927年(昭和2年)4月20日〜1929年(昭和4年)7月2日

【第15代】
氏名階級:財部彪大将(海兵15期)
在職期間:1929年(昭和4年)7月2日〜1930年(昭和5年)10月3日

【第16代】
氏名階級:安保清種大将(海兵18期)
在職期間:1930年(昭和5年)10月3日〜1931年(昭和6年)12月13日

【第17代】
氏名階級:大角岑生大将(海兵24期・海大5期)
在職期間:1931年(昭和6年)12月13日〜1932年(昭和7年)5月26日

【第18代】
氏名階級:岡田啓介大将(海兵15期・海大2期)
在職期間:1932年(昭和7年)5月26日〜1933年(昭和8年)1月9日

【第19代】
氏名階級:大角岑生大将(海兵24期・海大5期)
在職期間:1933年(昭和8年)1月9日〜1936年(昭和11年)3月9日

【第20代】
氏名階級:永野修身大将(海兵28期・海大8期)
在職期間:1936年(昭和11年)3月9日〜1937年(昭和12年)2月2日

【第21代】
氏名階級:米内光政大将(海兵25期・海大12期)
在職期間:1937年(昭和12年)2月2日〜1939年(昭和14年)8月30日

【第22代】
氏名階級:吉田善吾中将(海兵32期・海大13期)
在職期間:1939年(昭和14年)8月30日〜1940年(昭和15年)9月5日

【第23代】
氏名階級:及川古志郎大将(海兵31期・海大13期)
在職期間:1940年(昭和15年)9月5日〜1941年(昭和16年)10月18日

【第24代】
氏名階級:嶋田繁太郎大将(海兵32期・海大13期)
在職期間:1941年(昭和16年)10月18日〜1944年(昭和19年)7月17日

【第25代】
氏名階級:野村直邦大将(海兵35期・海大18期)
在職期間:1944年(昭和19年)7月17日〜1944年(昭和19年)7月22日

【第26代】
氏名階級:米内光政大将(海兵25期・海大12期)
在職期間:1944年(昭和19年)7月22日〜1945年(昭和20年)12月1日

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2008年08月02日

歴代連合艦隊司令長官一覧

大日本帝国海軍の歴代連合艦隊司令長官一覧です。

【初代】
氏名階級:伊東祐亨中将
在職期間:1894年(明治27年)7月19日〜1895年(明治28年)5月11日

【第2代】
氏名階級:有地品之允中将
在職期間:1895年(明治28年)5月11日〜1895年(明治28年)11月16日

【第3代】
氏名階級:東郷平八郎中将
在職期間:1903年(明治36年)12月28日〜1905年(明治38年)6月14日

【第4代】
氏名階級:東郷平八郎大将
在職期間:1905年(明治38年)6月14日〜1905年(明治38年)12月20日

【第5代】
氏名階級:伊集院五郎中将(海兵5期)
在職期間:1908年(明治41年)10月8日〜1908年(明治41年)11月20日

【第6代】
氏名階級:吉松茂太郎中将(海兵7期)
在職期間:1915年(大正4年)11月1日〜1915年(大正4年)12月13日

【第7代】
氏名階級:吉松茂太郎中将(海兵7期)
在職期間:1916年(大正5年)9月1日〜1916年(大正5年)10月14日

【第8代】
氏名階級:吉松茂太郎大将(海兵7期)
在職期間:1917年(大正6年)10月1日〜1917年(大正6年)10月22日

【第9代】
氏名階級:山下源太郎大将(海兵10期)
在職期間:1918年(大正7年)9月1日〜1918年(大正7年)10月15日

【第10代】
氏名階級:山下源太郎大将(海兵10期)
在職期間:1919年(大正8年)6月1日〜1919年(大正8年)10月28日

【第11代】
氏名階級:山屋他人大将(海兵12期・海大2期)
在職期間:1920年(大正9年)5月1日〜1920年(大正9年)8月24日)

【第12代】
氏名階級:栃内曽次郎大将(海兵13期)
在職期間:1920年(大正9年)8月24日〜1920年(大正9年)10月31日

【第13代】
氏名階級:栃内曽次郎大将(海兵13期)
在職期間:1921年(大正10年)5月1日〜1921年(大正10年)10月31日

【第14代】
氏名階級:竹下勇中将(海兵15期・海大1期)
在職期間:1922年(大正11年)12月1日〜1924年(大正13年)1月27日

【第15代】
氏名階級:鈴木貫太郎大将(海兵14期・海大1期)
在職期間:1924年(大正13年)1月27日〜1924年(大正13年)12月1日

【第16代】
氏名階級:岡田啓介大将(海兵15期・海大2期)
在職期間:1924年(大正13年)12月1日〜1926年(大正15年)12月10日

【第17代】
氏名階級:加藤寛治中将(海兵18期)
在職期間:1926年(大正15年)12月10日〜1928年(昭和3年)12月10日

【第18代】
氏名階級:谷口尚真大将(海兵19期・海大3期)
在職期間:1928年(昭和3年)12月10日〜1929年(昭和4年)11月11日

【第19代】
氏名階級:山本英輔中将(海兵24期・海大5期)
在職期間:1929年(昭和4年)11月11日〜1931年(昭和6年)12月1日

【第20代】
氏名階級:小林躋造中将(海兵26期・海大6期)
在職期間:1931年(昭和6年)12月1日〜1933年(昭和8年)11月15日

【第21代】
氏名階級:末次信正中将(海兵27期・海大7期)
在職期間:1933年(昭和8年)11月15日〜1934年(昭和9年)11月15日

【第22代】
氏名階級:高橋三吉中将(海兵29期・海大10期)
在職期間:1934年(昭和9年)11月15日〜1936年(昭和11年)12月1日

【第23代】
氏名階級:米内光政中将(海兵25期・海大12期)
在職期間:1936年(昭和11年)12月1日〜1937年(昭和12年)2月2日

【第24代】
氏名階級:永野修身大将(海兵28期・海大8期)
在職期間:1937年(昭和12年)2月2日〜1937年(昭和12年)12月1日

【第25代】
氏名階級:吉田善吾中将(海兵32期・海大13期)
在職期間:1937年(昭和12年)12月1日〜1939年(昭和14年)8月30日

【第26代】
氏名階級:山本五十六中将(海兵32期・海大14期)
在職期間:1939年(昭和14年)8月30日〜1941年(昭和16年)8月11日

【第27代】
氏名階級:山本五十六大将(海兵32期・海大14期)
在職期間:1941年(昭和16年)8月11日〜1943年(昭和18年)4月18日

【第28代】
氏名階級:古賀峯一大将(海兵34期・海大15期)
在職期間:1943年(昭和18年)4月21日〜1944年(昭和19年)3月31日

【第29代】
氏名階級:豊田副武大将(海兵33期・海大15期)
在職期間:1944年(昭和19年)5月3日〜1945年(昭和20年)5月1日

【第30代】
氏名階級:豊田副武大将(海兵33期・海大15期)
在職期間:1945年(昭和20年)5月1日〜1945年(昭和20年)5月29日

【第31代】
氏名階級:小沢治三郎中将(海兵37期・海大19期)
在職期間:1945年(昭和20年)5月29日〜1945年(昭和20年)10月10日

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歴代軍令部総長一覧

大日本帝国海軍の歴代軍令部総長一覧です。

【初代】
氏名階級:仁礼景範少将
在職期間:1886年(明治19年)3月16日〜1889年(明治22年)3月7日

【第2代】
氏名階級:伊藤雋吉少将
在職期間:1889年(明治22年)3月8日〜1889年(明治22年)5月16日

【第3代】
氏名階級:有地品之允少将
在職期間:1889年(明治22年)5月17日〜1891年(明治24年)6月16日

【第4代】
氏名階級:井上良馨少将
在職期間:1891年(明治24年)6月17日〜1892年(明治25年)12月11日

【第5代】
氏名階級:中牟田倉之助中将
在職期間:1892年(明治25年)12月12日〜1894年(明治27年)7月16日

【第6代】
氏名階級:樺山資紀中将
在職期間:1894年(明治27年)7月17日〜1895年(明治28年)5月10日

【第7代】
氏名階級:伊東祐亨中将
在職期間:1895年(明治28年)5月11日〜1905年(明治38年)12月18日

【第8代】
氏名階級:東郷平八郎大将
在職期間:1905年(明治38年)12月19日〜1909年(明治42年)11月30日

【第9代】
氏名階級:伊集院五郎中将(海兵5期)
在職期間:1909年12月1日(明治42年)〜1914年(大正3年)4月21日

【第10代】
氏名階級:島村速雄中将(海兵7期)
在職期間:1914年(大正3年)4月22日〜1920年(大正9年)9月30日

【第11代】
氏名階級:山下源太郎大将(海兵10期)
在職期間:1920年(大正9年)10月1日〜1925年(大正14年)4月14日

【第12代】
氏名階級:鈴木貫太郎大将(海兵14期・海大1期)
在職期間:1925年(大正14年)4月15日〜1929年(昭和4年)1月21日

【第13代】
氏名階級:加藤寛治大将(海兵18期)
在職期間:1929年(昭和4年)1月22日〜1930年(昭和5年)6月10日

【第14代】
氏名階級:谷口尚真大将(海兵19期・海大3期)
在職期間:1930年(昭和5年)6月11日〜1932年(昭和7年)2月1日

【第15代】
氏名階級:伏見宮博恭王大将(皇族・海兵16期)
在職期間:1932年(昭和7年)2月2日〜1941年(昭和16年)4月8日

【第16代】
氏名階級:永野修身大将(海兵28期・海大8期)
在職期間:1941年(昭和16年)4月9日〜1944年(昭和19年)2月20日

【第17代】
氏名階級:嶋田繁太郎大将(海兵32期・海大13期)
在職期間:1944年(昭和19年)2月21日〜1944年(昭和19年)8月1日

【第18代】
氏名階級:及川古志郎大将(海兵31期・海大13期)
在職期間:1944年(昭和19年)8月2日〜1945年(昭和20年)5月28日

【第19代】
氏名階級:豊田副武大将(海兵33期・海大15期)
在職期間:1945年(昭和20年)5月29日〜1945年(昭和20年)10月15日

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2006年08月10日

麦飯

大日本帝国海軍における食事は基本的に麦飯でした。麦にはビタミンB1が多く含まれております。ビタミンB1が不足すると、「脚気」という病気になります。脚気は、ビタミンB1欠乏によって発生する病気で、最悪死に至ります。大日本帝国海軍ではこの脚気を予防するために麦飯を導入したのですが、それまでには様々な試行錯誤がありました。

明治時代、草創期の大日本帝国海軍の食事は白米で、肉食もあまり多くありませんでした。そのため、約3割もの兵卒が脚気に掛かっていると言う状態でした。しかし当時は、脚気がビタミンB1の欠乏による病気と言うこともまだ知られておりませんでした。英国留学経験を持つ海軍軍医高木兼寛は、大英帝国海軍においては脚気患者は皆無であることから、食事に注目し、「脚気は炭水化物をとりすぎ、たんぱく質が不足することから起こる」という仮説を立てました(脚気の原因はビタミンB1の不足なので、この説は今では正しくありませんが・・・)。

そしてその頃、大きな事件が起こります。明治16年、南米に練習航海に出た軍艦「龍驤(りゅうじょう)」の乗組員376名のうち169名が重症脚気患者となり、そのうち25名が死亡したのです。しかし、練習航海公開の帰途、ハワイのホノルル港で肉や野菜を調達して与えたところ、脚気患者は全員回復したとのこと。この高木兼寛の説を裏づけるような事件をきっかけに、高木兼寛は明治天皇に兵食の改善を奏上する機会を得ました。

そして明治17年2月、軍艦「筑波」が練習航海に出航。この練習航海においては、前回の反省を踏まえて高木兼寛の理想とする食材を満載し、前回の練習航海と同じ航路を辿らせました。その結果、この練習航海において脚気患者はゼロとなり、高木兼寛の説は証明されました。しかしこの航海で主食としたパンが兵卒に不人気だったことから、このパンの原料である麦と米を半分ずつ混ぜた麦飯を導入。その結果、兵卒にも広く受け入れられ、1年後には海軍から脚気が根絶したそうです。

一方、明治時代の大日本帝国陸軍では白米が主流でした。そのため、脚気による死者を多数出しました。しかしイギリス留学経験のある海軍軍医高木兼寛の「脚気栄養説」は、「脚気伝染病説」を主張するドイツ留学経験のある陸軍軍医総監森林太郎(森鴎外)に批判され、陸軍では麦飯は採用されず、白米の食事が続きました。そのため陸軍では日清戦争において3,944名の脚気死者を出し(戦死・戦傷死者は1,270名)、10年後の日露戦争では27,800余名の脚気死者を出しました(戦死・戦勝病死者84,200名)。一方、麦飯を導入していた海軍は脚気死者はゼロでした。そのため、大日本帝国陸軍も後に食事を麦飯にしております。

<公爵の独り言>
昭和天皇も日常的に麦飯をお召しになっていたそうです。

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2006年08月05日

礼砲

礼砲は外交儀礼の一つで、外国からの賓客を迎えた時に敬意を表して撃ちます。礼砲を何発撃つかは賓客(受礼者)のランクによって異なります。賓客(受礼者)と礼砲の数は以下のように定められています。

●元首(家族):21発
●特命全権大使:19発
●陸海空軍大将:17発
●特命全権公使、陸海空軍中将:15発
●臨時代理大使、陸海空軍少将:13発
●臨時代理公使、総領事、陸海空軍准将:11発
●領事:7発

なお、礼砲は当然「空砲」です(笑)。

<公爵の独り言>
不思議なことに全部奇数ですね。

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2005年10月12日

帝国海軍の将兵には髭にまつわるエピソードが多い。

ハワイ真珠湾攻撃の総飛行隊長淵田美津雄中佐は鼻の下にちょび髭を生やしていた。そのため「ヒトラー」と渾名された。

キスカ島撤退作戦を指揮した第一水雷戦隊司令官木村昌福少将の髭は立派なカイゼル髭(八字髭)を生やしていた。その髭は、後ろから見ても髭の先端が見えるほどで、その姿から「猫サンマ」と呼ばれた。

また、海軍在籍年数が長い古参の下士官兵も髭を生やし、立派なカイゼル髭を持つ者は、その本来の階級にかかわらず「司令官」と渾名された。

なお、このように髭自体は認められていたが、清潔でスマートであることをモットーとする帝国海軍では「無精髭」は厳禁であった。航海中は水が貴重品であるため、毎日髭剃りが出来ないのは仕方が無いものの、上陸時には必ず綺麗に剃るようになっていた。そうしないと、上陸が許可されないこともあったそうである。

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2005年10月01日

長髪OK!

帝国海軍は帝国陸軍と違って長髪OKでした。長髪といっても、丸坊主でなくても良いと言うだけで、いわゆるロンゲがOKだった訳ではありません。

帝国海軍において長髪がOKだった理由は、鉄の塊である狭い艦船で活動するので、頭を保護するという合理的な目的があったと言われております。

とは言え、艦船においては水は貴重品。当然、毎日入浴できません。そうなると、長髪は衛生的に問題となります。ですから、長髪は認められてはいましたが、艦船勤務者はほとんど丸坊主にしていたようです。

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大日本帝国海軍の英語表記

大日本帝国海軍は、英語では以下のように表記します。

The Imperial Japanese Navy
(The Japanese Imperial Navyという表記も一部あり)

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上官の呼び方

帝国海軍と帝国陸軍では、上官の呼び方が違います。

帝国陸軍の場合は、役職名または階級名に「殿」を付けて呼びます。
例:○○師団長殿 ○○大佐殿 ○○大尉殿

しかし帝国海軍の場合は、役職名または階級名のみで呼びます。
例:○○司令 ○○大佐 ○○大尉

合理的であることをモットーとする帝国海軍では、役職名または階級名には敬称が既に含まれていると考え、くどい言い回しはしないのです。

帝国海軍が出てくる映画やドラマで注目するポイントのひとつです(笑)。

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敬礼の仕方

帝国海軍と帝国陸軍では敬礼(挙手の礼)の仕方が違います。

陸軍式の敬礼は、肘を張り、上腕部が体と直角になるようにします。しかし海軍式の敬礼は、脇を閉め、肘を張らないようにします。陸軍と違って海軍は、狭い艦艇の中での活動が中心となるため、合理的に工夫されたと言われております。

なお、敬礼は下級者が先に行い、上級者が答礼し、その腕を降ろしてから、下級者が腕を降ろします。下級者が先に敬礼しない場合、上級者から鉄拳制裁されることあったそうです。

帝国海軍が出てくる映画やドラマで注目するポイントのひとつです(笑)。

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