2009年11月14日

ハワイ沖で帝国海軍潜水艦2隻発見!

終戦直後に米軍に接収され、沈められた帝国海軍の潜水艦2隻がハワイ沖で発見されたそうです。発見された潜水艦は、伊号第14潜水艦(伊14)と、伊号第201潜水艦(伊201)の2隻とのことです。

時事ドットコム 2009/11/13 17:47
旧日本軍の潜水艦2隻発見=米、ソ連警戒し接収後沈める−ハワイ沖
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009111300821
 【ワシントン時事】米海洋大気局(NOAA)とハワイ大学は12日、終戦直後に米軍に接収され、沈められた旧日本軍の伊号潜水艦2隻をハワイ・オアフ島沖の海底で発見したと発表した。
 NOAAとハワイ大の調査チームによると、潜水艇を使い、今年2月に深さ約914メートルの海底で2隻を発見。船体に記された番号などから旧日本軍の潜水艦と確認した。
 1隻は飛行機2機を搭載した伊14型、もう1隻は大戦末期に高速性を重視して建造された伊201型潜水艦。米軍は戦後、接収して性能を調べたが、旧ソ連からも調査要求があった。当時評価が高かった日本の潜水艦の情報を渡さないため1946年に沈めたという。
ところで、帝国海軍の潜水艦には、今回発見された伊号第14潜水艦(伊14)、伊号第201潜水艦(伊201)のように「伊号」と呼ばれる潜水艦と、「呂号」と呼ばれる潜水艦、「波号」と呼ばれる潜水艦の3種類があり、以下のような規則で命名されています。

ネイヴァルランド公国 潜水艦の命名基準
http://navalland.seesaa.net/article/13264186.html
伊号潜水艦:排水量1,000トン以上の大型潜水艦(一等潜水艦)
呂号潜水艦:排水量500トン以上1,000トン未満の中型潜水艦(二等潜水艦)
波号潜水艦:排水量500トン未満の小型潜水艦(三等潜水艦)
ですので、今回発見された伊号第14潜水艦(伊14)と、伊号第201潜水艦(伊201)は、排水量1,000トン以上の大型潜水艦(一等潜水艦)であることが分かります。

なお、航空機を搭載した帝国海軍の潜水艦は太平洋戦争中、搭載した航空機で世界初のアメリカ本土爆撃を成功させており、アメリカ国民を恐怖に陥れました。そして、潜水艦に搭載した航空機で敵地を攻撃するというアイデアは、後にミサイル原子力潜水艦へと発展して行きました。

posted by 公爵 at 01:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 艦船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月03日

現存する戦艦「三笠」

日露戦争で活躍した本物の「戦艦」が横須賀にあります。

日露戦争の日本海海戦において、ロシア帝国のバルチック艦隊を撃破した大日本帝国海軍連合艦隊。連合艦隊司令長官東郷平八郎中将が座乗していた連合艦隊旗艦戦艦「三笠」が、現在は記念艦「三笠」として保存、公開されています。

記念艦「三笠」公式ホームページ
http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/

夏休みに訪れてみてはいかがでしょうか?

<公爵の独り言>
私も2回、観に行ったことがあります。

posted by 公爵 at 05:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 艦船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月08日

トイレの扉

帝国海軍将兵が艦船内のトイレに入る時は、トイレの扉を開けたままにすることが多かったそうです。行儀が悪いと思うかもしれませんが、これにはちゃんと理由があります。その理由とは、脱出経路の確保。艦船に魚雷や爆弾が命中すると、船体が歪みます。もしトイレに入っている時に扉を閉めていると、突然の敵襲で船体に魚雷や爆弾が命中した時に船体が歪んで扉が開かなくなり、脱出不能になってしまうのです。皆さんも船のトイレに入る時には注意しましょう(笑)。

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2006年11月22日

三景艦

明治時代、帝国海軍は清国の戦艦「鎮遠」、戦艦「定遠」に対抗するため、戦艦並みの口径の主砲(32センチ砲1門)を搭載した巡洋艦を3隻建造しました。艦名は「松島」、「厳島」、「橋立」。いずれも日本三景である陸奥松島、安芸厳島(宮島)、丹後天橋立から名を取ったことから、これらの艦は「三景艦」と呼ばれました。

この三景艦の凄いところは、巡洋艦に戦艦並の主砲を搭載したことで、三景艦が搭載した32センチ砲(1門)は、清国の戦艦「鎮遠」、戦艦「定遠」の30.5センチ砲(4門)を上回る口径でした。三景艦は日清戦争、日露戦争において活躍しましたが、巡洋艦の小さな船体に巨大な32センチ砲を搭載したため、主砲の発射は出来るものの命中率は非常に悪く、命中弾はなかったそうです。むしろ副砲として搭載した速射砲と、巡洋艦としての快速性が海戦で一番役に立ったそうです。

なお、三景艦の1番艦「松島」の32センチ砲は後部甲板、2番艦「厳島」、3番艦「橋立」の32センチ砲は前部甲板に設置されています。これは、三景艦で艦隊を組んだ場合、32センチ砲の死角がなくなるようにするための工夫と言われております(厳島と橋立を前方に配置し、松島を後方に配置する逆三角形の陣形を取ると、32センチ砲の死角がなくなる)。

<公爵の独り言>
艦船設計はやはりバランスが重要ですね。

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2006年09月24日

最近まで残っていた海防艦

海防艦とは軍艦の一種で、近海・沿岸の防備、領海警備、漁業警備、船団の護衛など主要な任務とする艦のことです。帝国海軍における海防艦は2種類あります。一つ目は明治時代に建造された旧式艦(巡洋艦や戦艦など)を海防艦に種別変更したもの。二つ目は昭和12年以降に建造された漁業保護や船団護衛を目的とした小型艦。通常、海防艦と言うと、後者の方を指します。

ところで、帝国海軍の海防艦がつい最近まで残っていたことをご存知でしょうか? その海防艦の名は「志賀」。昭和19年(1944年)から昭和20年(1945年)にかけて20隻建造された鵜来級海防艦の1艦です。

鵜来級海防艦要目
基準排水量:940トン
全長:78.8メートル
全幅:9.1メートル
喫水:3.0メートル
エンジン:22号10型ディーゼルエンジン2基2軸
馬力:4,000馬力
速力:19.5ノット
航続距離:16ノットで5,000海里
兵装:45口径12センチ高角砲 連装1基・単装1基、25mm三連装機銃2基、九四式爆雷投射機2基、三式爆雷投射機16基、爆雷投下軌条2基、爆雷120個など。
海防艦志賀は太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)3月20日に竣工しました。そして呉防備戦隊に編入され、4月6日の戦艦大和沖縄出撃時、豊後水道南部で敵潜水艦を捕捉し、爆雷投射でこれを撃沈すると言う戦果を上げております。そして同年5月始めに舞鶴で改装され、対馬海峡の対潜哨戒・機雷処理に従事しているた7月31日、壱岐半城浦において来襲した敵戦闘機P51を2機撃墜するという戦果を上げております。海防艦志賀はなかなかの武勲艦だったと言えます。海防艦志賀はその後も哨戒任務に従事し、敗戦を迎えました。

敗戦後の海防艦志賀は、数奇な運命を辿ることになります。昭和21年(1946年)から昭和24年(1949年)まで米軍連絡船として利用され、博多・釜山間を就航しました。その後昭和25年(1950年)から昭和28年(1953年)までは中央気象台定点観測船「志賀丸」として就航。昭和29年(1954年)1月からは海上保安庁の練習艦「こじま」として、海外在留邦人の引き上げ輸送等に従事しました。そして昭和40年(1965年)4月、とうとう廃役となったのです。

さて、海防艦志賀はこうして20年に渡る船舶としての生命を終えたのですが、今度は何と公民館として利用されることになりました。海防艦志賀(練習艦こじま)は昭和40年(1965年)8月に千葉市に払い下げられ、昭和41年(1966年)8月18日に「海洋公民館」として生まれ変わったのです。海洋公民館となった海防艦志賀(練習艦こじま)は、当初岸壁に係留された状態で公開されていたのですが、後に船体の周囲は埋め立てられ、団地の中の公民館施設として利用されました。

こうして静かな余生を送ってきた海防艦志賀(練習艦こじま)ですが、今度は一転、解体の危機を迎えます。海防艦志賀(練習艦こじま)は老朽化の為、既に海洋公民館としての利用を終了していたのですが、地域開発の一環として、解体されることとなったのです。しかし残存する唯一の旧海軍戦闘艦艇の経歴を持つことから保存運動が持ち上がったそうですが、結局保存されること無く、平成10年(1998年)に解体されてしまいました。

なお、海防艦志賀(練習艦こじま)の艦橋内の機器の一部が千葉県の稲毛記念館に艦橋を模して展示されているほか、艦首部分は、栃木県の那須戦争博物館に展示されているそうです。

海防艦志賀
http://www.ne.jp/asahi/mili/surva/ivent/koz/kozbun.html

海とKISSと太陽と 鵜来(改乙)型
http://www.down.ne.jp/ish/ijn/axhist/ukuru.html

海防艦「志賀」保存問題
http://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Study/Study077.html

「こじま」解体開始
http://www2.famille.ne.jp/~kurimata/hozon4.html

とんぺいの機械博物館 那須戦争博物館(那須高原)
http://homepage3.nifty.com/tompei/WarMuseumNasu.htm

あれそれこれ博覧会 戦争博物館 栃木/那須
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki2/nasu/nasu.html

あれそれこれ博覧会 稲毛記念館 千葉市
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki/kojima/siga.html

稲毛記念館
http://www.cga.or.jp/004013/

<公爵の独り言>
最近まで残っていた貴重な戦前の船舶を、大した理由も無く一地方自治体の決定で解体してしまうことに理不尽さを感じます。

posted by 公爵 at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 艦船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

防波堤となった艦艇(3)

太平洋戦争中、鉄鋼資源の不足した大日本帝国は、何とコンクリート製の船舶を建造しました。とは言え、帝国海軍の戦闘艦艇ではなく、油槽船や貨物船などの輸送船です。そのコンクリート製貨物船が、大日本帝国敗戦後、防波堤として利用され、現在まで残っています。

今回は、2隻のコンクリート製被曳航油槽船をご紹介します。被曳航油槽船とは無人無動力で自ら航行する能力のない船で、他の船舶に曳航されて燃料を輸送する運搬する船のことです。

まず1隻目は、広島県安芸郡音戸町坪井の音戸漁港にあるコンクリート製被曳航油槽船。船名は不明のようです。昭和28年に防波堤として沈設された模様です。

ヨコハマ造船所技報 3.コンクリート製被曳航油槽船(その1)。
http://www.lares.dti.ne.jp/~obsidian/ysy/gihou/cons03.html

あれそれこれ博覧会 坪井漁港 広島/音戸
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki9/tuboi/tuboi.html

2隻目は、山口県下松市笠戸島夕日岬付近の砂浜にあるコンクリート製被曳航油槽船。船名は不明のようです。なお、このコンクリート製被曳航油槽船は防波堤として設置されたものではないようで、どういう経緯でここにあるのかも不明であるようです(防波堤ではなく、ただの沈没船と言った感じです)。

ヨコハマ造船所技報 4.コンクリート製被曳航油槽船(その2)。
http://www.lares.dti.ne.jp/~obsidian/ysy/gihou/cons04.html

<公爵の独り言>
コンクリートで船を造るとは驚きですね!

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防波堤となった艦艇(2)

太平洋戦争中、鉄鋼資源の不足した大日本帝国は、何とコンクリート製の船舶を建造しました。とは言え、帝国海軍の戦闘艦艇ではなく、油槽船や貨物船などの輸送船です。そのコンクリート製貨物船が、大日本帝国敗戦後、防波堤として利用され、現在まで残っています。

そのコンクリート製貨物船の名は、「第一武智丸」と「第二武智丸」。この2隻のコンクリート製貨物船は太平洋戦争中、物資の輸送に従事しましたが、敗戦後、台風による波浪被害の大きい広島県豊田郡安浦町三津口の安浦漁港の防波堤として沈設されました。

2隻のコンクリート製貨物船の船体は、船尾を接するように沈設され、陸側が第一武智丸、沖側が第二武智丸であるそうです。この2隻のコンクリート製貨物船による防波堤も、通称「軍艦防波堤」と呼ばれているそうです。

私が出会った不思議な世界 軍艦防波堤
http://otokonohoukago.mond.jp/page098.html

GEO TOP コンクリート船「武智丸」日経新聞に掲載
http://www.geotop.co.jp/topics/take.html

ヨコハマ造船所技報 2.武智丸。
http://www.lares.dti.ne.jp/~obsidian/ysy/gihou/cons02.html

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防波堤となった艦艇(1)

太平洋戦争敗戦後、防波堤となった帝国海軍艦艇があります。防波堤となったのは、帝国海軍駆逐艦「冬月」、「涼月」、「」の3隻です。これらの駆逐艦は終戦時に健在でしたが、戦勝国への賠償艦として引き渡すには状態が良くなかったため、昭和23年、福岡県北九州市若松区響町の洞海湾口に位置する若松港の港口に船体を沈設、防波堤とされました。

若松港は現在は埋め立てや護岸が進んでおりますが、この防波堤が出来る前は外海からの波浪を直接受け、港の傷みが進みやすい状態だったそうです。しかしこの防波堤が出来てからは外海からの波浪が消波され、港の維持が容易になったそうです。この防波堤は、通称「軍艦防波堤」と呼ばれているそうです。

なお、現在その船体を確認できるのは駆逐艦「」のみで、駆逐艦「冬月」、「涼月」はコンクリートに埋没しているそうです。帝国海軍駆逐艦としての生命を終えてなお、日本国民のために貢献した駆逐艦「冬月」、「涼月」、「」に敬礼!

戦捜録 軍艦防波堤
http://www1.linkclub.or.jp/~oya-wm/yanagifile/yanagi.html

来て見て若松 軍艦防波堤
http://www1.vis.ne.jp/~k1ro/gunkanbouhatei.htm

若松軍艦防波堤
http://www22.tok2.com/home2/maccha/gun2002.htm

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2006年09月22日

大和級戦艦の弱点

大和級戦艦(大和、武蔵)は、戦艦の主砲としては世界最大の46センチ砲を9門搭載した世界最強の戦艦です。しかし大和級戦艦には、決定的な弱点が存在します。それは「副砲」です。

戦艦に限らず海軍艦艇は一般的に、自分が搭載している主砲の砲弾が命中しても耐えられるように設計されています。ですから、46センチ砲を搭載する大和級戦艦は、46センチ砲で砲撃されても耐えられる装甲を施しています。しかし大和級戦艦の15.5センチ副砲は、大和級戦艦用に製造されたものではなく、最上級軽巡洋艦に搭載されていた15.5センチ主砲を転用したものでした。ですから大和級戦艦の15.5センチ副砲は、15.5センチ砲を搭載した軽巡洋艦の砲撃に耐えられる程度の装甲しか施されていなかったのです。

とは言え、大和級戦艦の46センチ砲の射程距離は、連合国海軍戦艦の41センチ砲の射程距離よりも長いので、戦艦の主砲がモノを言う艦隊決戦ではあまり気にしなくても良いことだったのかもしれません。

なお、15.5センチ主砲を大和級戦艦に譲り渡した最上級軽巡洋艦は代わりに20.3センチ主砲を搭載して、軽巡洋艦から重巡洋艦にアップグレードしております。

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戦艦武蔵はちょっと豪華?

戦艦大和は広島県呉市の呉海軍工廠で建造されましたが、戦艦武蔵は民間の三菱重工業長崎造船所で建造されました。三菱重工業長崎造船所はそれまで多くの豪華客船を建造して来た実績があり、そのため、戦艦武蔵は同型の戦艦大和よりも若干仕上げが良かったと言われております。

また戦艦武蔵は戦艦大和よりもやや遅れて建造を開始したので、戦艦大和建造中に判明した不具合を解消したり、旗艦設備を充実させたりと機能面も戦艦大和より向上していたそうです。

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2006年09月18日

八八艦隊計画

八八艦隊計画とは大日本帝国海軍が第一次世界大戦後に計画した建艦計画です。その内容は、戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を新規に建造し、それを基幹とした大艦隊を整備しようとするもので、多数の補助艦艇(重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦)の建造も計画されておりました。以下は八八艦隊計画で建造を計画された戦艦、巡洋戦艦の一覧です。

<戦艦>
長門級:2隻
・長門
・陸奥

加賀級:2隻
・加賀
・土佐

紀伊級:4隻
・紀伊
・尾張
・駿河
・近江

<巡洋戦艦>
天城級:4隻
・天城
・赤城
・高雄
・愛宕

13号艦級:4隻(艦名未決定)
・13号艦
・14号艦
・15号艦
・16号艦

全て完成すれば世界に冠たる大艦隊となる八八艦隊計画。しかしこの計画は途中で頓挫しました。大正10年〜大正11年(1921年〜1922年)のワシントン海軍軍縮会議によって、主力艦(戦艦、巡洋戦艦)の建造が制限されたためです。その結果、八八艦隊計画によって建造を計画された戦艦、巡洋戦艦は以下のような状態となりました。

<戦艦>
長門級:2隻
・長門(完成)
・陸奥(完成)

加賀級:2隻
・加賀(航空母艦として完成)
・土佐(進水後、標的艦として利用され海没処分)

紀伊級:4隻
・紀伊(建造中止)
・尾張(建造中止)
・駿河(建造中止)
・近江(建造中止)

<巡洋戦艦>
天城級:4隻
・天城(航空母艦に改装中、関東大震災にて大破し廃棄)
・赤城(航空母艦として完成)
・高雄(建造中止)
・愛宕(建造中止)

13号艦級:4隻(艦名未決定)
・13号艦(建造中止)
・14号艦(建造中止)
・15号艦(建造中止)
・16号艦(建造中止)

なお、もしこの建艦計画が実現した場合、建造に掛かる費用と維持に掛かる費用で国庫は財政破綻したであろうと言われております。ワシントン海軍軍縮会議によって救われた感じですね。

あと蛇足ですが、海上自衛隊は護衛艦8隻、対潜ヘリコプター8機(八艦八機)で1個護衛隊群を構成することから、この構成のことも「八八艦隊」とか「新・八八艦隊」と呼ぶことがあるそうです。

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船体の腐食防止

大日本帝国海軍に限った話ではないのですが、今回は艦船の船体腐食防止(錆止め)についてちょっとお話したいと思います。但し、細かく説明すると化学的な話になってしまうので、簡単に説明します。

艦船の船体は、掃海艇など特殊な艦艇を除いては「」で出来ています。鉄は海水に浸かっていると腐食します。艦船を長く使うためには、船体(鉄)の腐食を防止する必要があります。そこで利用されるのが「亜鉛」。亜鉛は鉄よりも腐食しやすい金属で、亜鉛と鉄をくっつけて海水に入れておくと、先に亜鉛が腐食し、鉄の腐食は進行しないのです。この性質を利用して、艦船の船底には「亜鉛ブロック」があちこちに取り付けられ、船体(鉄)の腐食を防いでいます。

なお、当然のことですが、船底の錆落としと腐食した亜鉛ブロックの交換、塗装の塗り替えは定期的に行う必要があります。莫大な費用をかけて建造した艦船を長持ちさせるためには、こうした平時の整備が大切なのです。

<公爵の独り言>
亜鉛様様ですね。

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陸奥鉄

戦艦陸奥は太平洋戦争中の昭和18年(1943年)6月8日、呉港沖柱島泊地において謎の爆発事故により沈没しました。世界の半分以上を相手にした戦争中に、帝国海軍の第一線の戦力である戦艦が、戦場ではなく国内の港で謎の爆沈。戦艦陸奥は、太平洋戦争の戦局に寄与することなく海に沈んでしまいました・・・。しかし戦艦陸奥は、その後思わぬ形で重宝されることになるのです。

戦艦陸奥は昭和45年(1970年)からサルベージされ、艦体の一部や遺品などが引き上げられていますが、その時注目されたのが戦艦陸奥の「鋼材」でした。鉄製品の豊富な現在において何故戦艦陸奥の鋼材が注目されたかと言うと、

戦艦陸奥の鋼材は放射性物質を含んでいないのです。

どう言う事かというと、戦後に作られた製鉄所の溶鉱炉は、内部の耐熱レンガに「コバルト60」と言う放射性物質が混ぜられているのです。そして「コバルト60」が発する放射線によって溶鉱炉の壁の厚さをモニターし、溶鉱炉の破損事故を防止しているそうです。しかしこの「コバルト60」は、溶鉱炉の中の鉄にも微量ながら混入してしまそうです。また戦後は「大気圏内核実験」が何度も行われているので地上には微量の放射性物質が存在する状態となっています。ですから現在の鉄製品には、ごく微量ながら放射性物質が含まれているのです。しかし戦艦陸奥は戦前に建造された鋼鉄製の戦艦。当然、戦前の溶鉱炉は「コバルト60」は使っていません。しかも戦艦陸奥は長い間海中に沈んでいたので、「大気圏内核実験」によって拡散した微量な放射性物質の影響もほとんど受けませんでした。この特徴に注目したのが「原子力産業」です。

元々自然界には微量な放射線が存在します。ある物質が出す微量な放射線を精密に測定するためには、自然界の発する微量な放射線を遮断しなければなりません。それには、放射性物質を含んでいない分厚い鉄材が必要です。そこで注目されたのが、放射性物質を含まない戦艦陸奥の鋼材だったのです。戦艦陸奥の鋼材は「陸奥鉄」と呼ばれ、ガイガーカウンターなどの放射線測定器の隔壁に利用され、重宝されているそうです。

<公爵の独り言>
横須賀の記念艦「三笠」の鋼材はどうなんでしょうね? それとか、日本近海の浅い海域に沈んでいる艦船を引き上げたら同じように使えませんかね? 「大和鉄」とか、「信濃鉄」とか。でも、墓標とも言うべき沈没艦をあまり軽々しく引き上げ/解体することはできませんね・・・。

posted by 公爵 at 06:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 艦船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

陸奥爆沈!

かつて「ビッグセブン」、「世界七大戦艦」と呼ばれ、連合艦隊旗艦になったり、天皇陛下が座上する御召し艦にもなった長門級戦艦陸奥。就役前、ワシントン海軍軍縮会議によって危うく廃艦されそうになりながらも、就役後は栄光の道を進んできました。しかしその最期は実にあっけなく、謎に満ちたものでした・・・。

戦艦陸奥は太平洋戦争中の昭和18年(1943年)6月8日12時10分頃(昼間)、呉港沖柱島泊地にて停泊中に突然三番砲塔付近から煙が噴き上がって爆発、一瞬のうちに艦体は切断されて乗員1121名と共に沈没してしまったのです。

戦艦陸奥の爆発事故直後に査問委員会が編成され、事故原因の調査が行われましたが、検討の結果、自然発火とは考えにくく、人為的な爆発である可能性が高い(この説を採る場合にも、行為者や動機などの詳細は不明)とされたが、真相は未だに明確になっていないそうです。

世界の半分以上を相手にした戦争中に、帝国海軍の第一線の戦力である戦艦が、戦場ではなく国内の港で謎の爆沈。実に不可解な事故です。戦艦陸奥はその誕生から最期まで幸薄い戦艦だったと言えるかもしれません・・・。

ところで、爆沈した戦艦陸奥は一部がサルベージされ、引き揚げられた艦体の一部や乗員の遺品などが山口県大島郡周防大島町の「陸奥記念館」に展示されているそうです。また、戦艦陸奥の主砲(砲身のみ)が、東京お台場にある「船の科学館」の屋外展示場に展示されております。

陸奥記念館
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki3/mutu/mutu.html
http://www17.ocn.ne.jp/~senshi/mutsukinenkan.html

船の科学館
http://www.funenokagakukan.or.jp/

あと蛇足ですが、現在、以下の画像掲示板サイトにて長門級戦艦(長門、陸奥)の画像を公開しております。興味のある方はご覧下さい。コメントや、関連画像のアップも大歓迎です。

フォトランド公国
http://i-bbs.sijex.net/imageBoard.jsp?id=duke

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ビッグセブン

ビッグセブン(ビッグ7)とは、1921年〜1922年(大正10年〜大正11年)のワシントン海軍軍縮会議によって主力艦(戦艦、巡洋戦艦)の建造が制限されたネイヴァルホリデー(海軍休日)における世界七大戦艦のことを指します。ビッグセブンと呼ばれた戦艦は以下の通り。

<大日本帝国>
長門級戦艦2隻
・長門
・陸奥

<イギリス>
ネルソン級戦艦2隻
・ネルソン
・ロドネイ

<アメリカ>
コロラド級戦艦3隻
・コロラド
・メリーランド
・ウェストバージニア

これらの戦艦は、いずれも当時世界最大であった口径41センチ(16インチ)の主砲を搭載しておりました。当時は戦艦が国力の象徴とされていた時代だったので、これらの戦艦は現代の戦略ミサイル原子力潜水艦に匹敵する存在であったと言っても過言ではないでしょう。これらビッグセブンと呼ばれた世界七大戦艦は、第一次世界大戦後から第二次世界大戦前までの間、抑止力を持った戦略兵器として世界に君臨しました。

ところで、この「ビッグセブン」は、すんなりと決まったわけではありませんでした。ワシントン海軍軍縮会議においては、建造中の主力艦は廃艦することが決定されておりましたが、当時41センチ(16インチ)主砲を搭載し、完成していた戦艦は、

<大日本帝国>
長門級戦艦
・長門

<アメリカ>
コロラド級戦艦
・メリーランド

の2隻だけでした(これで終わっていればビッグツーだったわけです)。大日本帝国は長門の姉妹艦である陸奥の工事を急がせていましたが、結局ワシントン海軍軍縮会議の時はまだ未完成の状態でした。このままでは陸奥は廃艦となってしまいます。しかし何としても陸奥を就役させたい大日本帝国は、ワシントン海軍軍縮会議において

陸奥は完成している!

と主張しました。しかしそんな主張がそのままイギリスやアメリカに認められる訳がありません。大揉めに揉めて、結局、陸奥の建造を認める代わりに、イギリス2隻(ネルソン級)、アメリカ2隻(コロラド級)の41センチ(16インチ)主砲搭載戦艦建造を認めることで各国が妥協し、ビッグセブンが誕生したのです。

ビッグセブンと呼ばれた戦艦の2隻、大日本帝国海軍の長門、陸奥は、長い間連合艦隊旗艦を交代で務め、広く国民に親しまれました。なお、現在でこそ帝国海軍の戦艦と言えば大和や武蔵が有名ですが、大和や武蔵は秘密裏に建造し、活躍した期間も太平洋戦争中だけだったので一般国民はその存在を知らない人が多く、終戦までは圧倒的に長門、陸奥の知名度の方が高かったそうです。

現在、以下の画像掲示板サイトにて長門級戦艦の画像を公開しております。興味のある方はご覧下さい。コメントや、関連画像のアップも大歓迎です。

フォトランド公国
http://i-bbs.sijex.net/imageBoard.jsp?id=duke

<公爵の独り言>
それにしても陸奥はその誕生から最期まで幸薄い戦艦ですね・・・。

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2006年08月15日

人間魚雷「回天」

昨日、人間魚雷「回天」を扱った映画「出口のない海」を紹介しましたが、以下のサイトにて人間魚雷「回天」のフラッシュを見ることが出来ます。よかったらご覧下さい。ハンカチを用意した方が良いかも知れません。

回天特別攻撃隊
http://tokyo.cool.ne.jp/kaiten_website/kaiten.swf

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2006年07月29日

帝国海軍による米空母撃沈

大日本帝国海軍の主力空母はアメリカ合衆国海軍にほとんどが撃沈されてしまいましたが、帝国海軍もアメリカ海軍の空母を多数撃沈しております。以下に帝国海軍が撃沈したアメリカ海軍の空母を掲載します。

●レキシントン(正規空母、排水量:41,000トン、搭載機:81機)
・撃沈日時:1942年(昭和17年)5月8日
・撃沈場所:珊瑚海
・撃沈経緯:珊瑚海海戦において、空母瑞鶴の搭載機が空母レキシントンを攻撃。魚雷2本、250キロ爆弾2発を命中させ大破させた。空母レキシントンは浸水を食い止め、火災も鎮圧したが、被雷によって漏れだしたガソリンが気化して引火、大爆発を起こして消火不能となったため、駆逐艦フェルプスの雷撃により処分された。

●ヨークタウン(正規空母、排水量:19,800トン、搭載機:85機)
・撃沈日時:1942年(昭和17年)6月7日
・撃沈場所:ミッドウェー近海
・撃沈経緯:5月27日、ミッドウェー海戦において、空母飛龍の急降下爆撃隊が空母ヨークタウンを攻撃。爆弾3発を命中させた。その後、空母飛龍の雷撃隊が再度空母ヨークタウンを攻撃し、魚雷2本を命中させて大破させた。空母ヨークタウンはそれでも沈没には至らず、修理のためハワイ真珠湾へ曳航された。6月7日、潜水艦伊-168が曳航されている空母ヨークタウンを発見、これを雷撃して撃沈した。

●ワスプ(正規空母、排水量:14,700トン、搭載機:76機)
・撃沈日時:1942年(昭和17年)9月15日
・撃沈場所:南西太平洋海域
・撃沈経緯:潜水艦伊-19が空母ワスプを発見し、これを雷撃。3本の魚雷を命中させ、撃沈した。

●ホーネット(正規空母、排水量:19,800トン、搭載機:85機)
・撃沈日時:1942年(昭和17年)10月27日
・撃沈場所:サンタクルーズ諸島沖
・撃沈経緯:南太平洋海戦において帝国海軍機動部隊(空母翔鶴、空母瑞鶴)の攻撃隊が空母ホーネットを攻撃。魚雷2本と250キロ爆弾6発を命中させ、大破させた。これにより米海軍は空母ホーネットを撃沈処分することにし、駆逐艦マスティンと駆逐艦アンダーソンで雷撃と砲撃を行ったが沈没せず、その後前進してきた帝国海軍の駆逐艦二隻が空母ホーネットに向けて4本の魚雷を命中させて撃沈した。

●リスカム・ベイ(護衛空母、排水量:10,400トン、搭載機:28機)
・撃沈日時:1943年(昭和18年)11月23日
・撃沈場所:マキン島西方
・撃沈経緯:マキン島西方において潜水艦伊-175が空母リスカム・ベイを雷撃。魚雷4本を発射し、その内1本が空母リスカム・ベイの右舷後部の火薬庫に命中。空母リスカム・ベイは轟沈した。

●プリンストン(軽空母、排水量:13,000トン、搭載機:45機)
・撃沈日時:1944年(昭和19年)10月24日
・撃沈場所:フィリピン・ルソン近海
・撃沈経緯:フィリピン・ルソン近海において、フィリピンの陸上基地から発進した急降下爆撃機が空母プリンストンを攻撃。爆弾は空母プリンストンの飛行甲板を突き抜け格納庫とエレベーターを破壊し爆発。これにより空母プリンストンは大破。米海軍は空母プリンストンを撃沈処分することにし、駆逐艦アーウィンと軽巡洋艦リノが雷撃と砲撃を行って撃沈した。

●ガンビア・ベイ(護衛空母、排水量:10,400トン、搭載機:28機)
・撃沈日時:1944年(昭和19年)10月25日
・撃沈場所:フィリピン・レイテ近海(サマール島沖)
・撃沈経緯:フィリピン沖海戦(サマール沖海戦)において、第一遊撃部隊(戦艦大和、戦艦金剛など)が空母ガンビア・ベイを砲撃。これを撃沈した。

●セント・ロー(護衛空母、排水量:10,400トン、搭載機:28機)
・撃沈日時:1944年(昭和19年)10月25日
・撃沈場所::フィリピン・レイテ近海
・撃沈経緯:フィリピン沖海戦において、フィリピンのマバラカット基地から出撃した神風特別攻撃隊の航空機(特攻機)が空母セント・ローに突入。爆弾、魚雷の誘爆で空母セント・ローは沈没した。

●オマニー・ベイ(護衛空母、排水量:10,400トン、搭載機:28機)
・撃沈日時:1945年(昭和20年)1月4日
・撃沈場所:フィリピン・ミンドロ島南方海域
・撃沈経緯:陸上基地を発進した双発爆撃機(機種は不明)が空母オマニー・ベイを攻撃。2発の爆弾を命中させ、1発は飛行甲板を貫通して格納庫内で爆発、もう1発は格納庫甲板を貫通して第2甲板右舷で爆発。これにより空母オマニー・ベイでは大火災が発生。米海軍は空母オマニー・ベイの撃沈処分することにし、駆逐艦バーンズが空母オマニー・ベイを雷撃して撃沈した。

●ビスマルク・シー(護衛空母、排水量:10,400トン、搭載機:28機)
・撃沈日時:1945年(昭和20年)2月21日
・撃沈場所:硫黄島沖
・撃沈経緯:神風特別攻撃隊の航空機(特攻機)が空母ビスマルク・シーに突入。大火災が発生し、空母ビスマルク・シーは沈没した。

<公爵の独り言>
帝国海軍もやられっぱなしではなかったのです。

posted by 公爵 at 19:43| Comment(2) | TrackBack(1) | 艦船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月15日

三笠公園

先日、7月9日日曜日に神奈川県横須賀市にある三笠公園に行ってきました。ここには、日本海海戦においてロシアのバルチック艦隊を撃破した大日本帝国海軍連合艦隊の旗艦であった戦艦三笠が記念艦として展示されています。以下のサイトに、三笠公園にて撮影した画像を掲載しております。よかったらご覧下さい。

フォトランド公国
http://i-bbs.sijex.net/imageBoard.jsp?id=duke

三笠艦内には追悼室や艦内神社があり、そこで献花代にでもと少額ながら浄財を寄進してきました。そして黙祷を捧げ、日本を護るために犠牲になった方々のご冥福を祈りました。

今回は天気が曇りだったので薄暗い写真ばかりですが、次回はもっと天気の良い日に、鮮明な写真を撮ってこようと思います。

記念艦「三笠」公式ホームページ
http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/

<公爵の独り言>
画像掲示板に公開している写真は恒久的なコンテンツとは言えないので、近いうちにサウスアイランド連合公国の画像保管庫にて公開する予定です。

posted by 公爵 at 18:35| Comment(0) | TrackBack(2) | 艦船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月01日

工作艦明石

太平洋戦争中、アメリカ海軍から「指名手配」された帝国海軍艦艇があります。それが工作艦明石(あかし)です。工作艦明石は艦内に広大な修理スペースや最新工作機械を持った、艦船の修理・整備を専門に行う艦船でした。

通常、艦船において修理・整備が必要な場合、艦船は工廠(修理・整備施設)のある港湾に帰港しなければなりません。しかも工廠の大半は日本周辺にしかないので、修理や整備が必要になると艦船は前線を離れなければなりませんでした。しかしこれは前線における戦力の低下に繋がります。

しかし工作艦明石が最前線の港湾に進出していると艦船の軽度の破損の修理や日常の整備は最前線の港湾でできるので、艦船の稼働率が向上し、戦力の維持を図ることが出来ます。実際、工作艦明石は太平洋戦争中は南方に進出。ソロモン諸島方面での激戦で損傷した艦船の修理や整備でその威力を発揮しました。

そのため、工作艦明石はアメリカ海軍から最重要目標としてマークされるようになり、1944年(昭和19年)2月17日〜18日にアメリカ海軍機動部隊(第38任務部隊)によるトラック空襲で損傷。その後、パラオに移動するも、1944年(昭和19年)3月30日のアメリカ海軍機動部隊(第58任務部隊)によるパラオ空襲で撃沈されてしまいました。

なお工作艦明石は連合艦隊の平時年間修理量35万工数の約40%(!)を担当する能力を持っていたそうです。これは相当な能力です。しかし太平洋戦争中、帝国海軍が保有していた工作艦は明石ただ1隻。太平洋戦争中に同型艦2隻(三原、桃取)の建造が計画されていたそうですが、戦局の悪化から建造されなかったそうです。もし明石級工作艦2番艦、3番艦をもっと早く建造していたら、戦局は少し変わっていたかも知れません。

posted by 公爵 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 艦船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

帝国海軍の航空母艦

大日本帝国海軍が保有していた航空母艦の一覧です。
就役した艦のみリストアップしております。

<正規空母>
・鳳翔(ほうしょう)
・赤城(あかぎ):巡洋戦艦赤城→空母赤城
・加賀(かが):戦艦加賀→空母加賀
・龍驤(りゅうじょう)
・蒼龍(そうりゅう)
・飛龍(ひりゅう)
・翔鶴(しょうかく)
・瑞鶴(ずいかく)
・大鳳(たいほう)
・信濃(しなの):戦艦信濃→空母信濃
・雲龍(うんりゅう)
・天城(あまぎ)
・葛城(かつらぎ)

<改造空母>
・祥鳳(しょうほう):潜水母艦剣埼→空母祥鳳
・瑞鳳(ずいほう):給油艦高崎→潜水母艦高崎→空母瑞鳳
・千歳(ちとせ):水上機母艦千歳→特殊潜航艇母艦千歳→空母千歳
・千代田(ちよだ):水上機母艦千代田→空母千代田
・龍鳳(りゅうほう):潜水母艦大鯨→空母龍鳳
・神鷹(しんよう):ドイツ商船シャルンホルスト→空母神鷹
・海鷹(かいよう):客船あるぜんちな丸→空母海鷹
・大鷹(たいよう):客船春日丸→特設空母春日丸→空母大鷹
・雲鷹(うんよう):客船八幡丸→空母雲鷹
・沖鷹(ちゅうよう):客船新田丸→空母沖鷹
・飛鷹(ひよう):客船出雲丸→空母飛鷹
・隼鷹(じゅんよう):客船橿原丸→空母隼鷹

こうしてみると、大日本帝国海軍は相当な数の航空母艦を保有していたことがわかります。ただ、上記の航空母艦全てが同時期に就役していた訳ではありませんが・・・。

<公爵の独り言>
学生時代、よく1/700スケールの艦船模型を作っていました。戦艦、航空母艦、重巡洋艦、駆逐艦、潜水艦など合計30隻近く保有していました。しかし残念ながら今は1隻も残っていません。

posted by 公爵 at 11:35| Comment(0) | TrackBack(1) | 艦船 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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