2010年11月23日

国立科学博物館に零式艦上戦闘機

ご存じの方もいると思いますが、東京上野にある国立科学博物館の地球館地上2階には、零式艦上戦闘機二一型(零戦、ゼロ戦)が展示されております。しかも、ただの零式艦上戦闘機二一型ではなく、複座に改造された機体です。

国立科学博物館の説明は以下の通り。
零式艦上戦闘機二一型改造複座機
展示されている零戦は、1944(昭和19)年、前線基地において破損した2機のうちの1機で、21型を偵察用2座席に改造したものである。
ラバウル海軍第253航空隊に所属し、機体番号53-12、操縦士官吉沢徳重(徳三説あり)上飛曹で、1945(昭和20)年に墜落した。
1972(昭和47)年、ラバウル北西約110kmの海中で発見、引き上げられたものを、1974(昭和49)年に日本大学教授石松新太郎(当時)が購入し、当館に寄贈したものである。
展示では、エンジンが見えるように、エンジンカバーを外してある。
意外に身近なところに零式艦上戦闘機があってびっくりです。興味のある方は是非一度足を運ばれてはいかがでしょうか?

独立行政法人国立科学博物館
National Museum of Nature and Science,Tokyo

http://www.kahaku.go.jp/

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2009年10月23日

零戦マニアが海外で銃弾を収集して日本に持ち込み逮捕!

零戦(零式艦上戦闘機)のマニアが、ミクロネシア沖の海底で零戦の銃弾などを拾い集めて日本に持ち込み、逮捕されました。

Yahoo!ニュース −読売新聞− 10月22日22時17分
零戦マニア、ミクロネシア沖で銃弾収集し郵送
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091022-00001070-yom-soci
 ミクロネシア沖の海底から旧日本軍の戦闘機「零戦」の銃弾などを収集し、無許可で日本国内に持ち込んだとして、警視庁は22日、東京都足立区の同区職員の男(41)と埼玉県八潮市の会社員の男(40)ら3人を火薬類取締法違反(火薬類の輸入、所持)の疑いで東京地検に書類送検した。

 発表によると、3人は今年2月19日、海底で拾い集めた銃弾(長さ約8〜18センチ)のうち8発を、火薬類輸入の許可を受けずに、ミクロネシア連邦の郵便局から、会社員の男の自宅に郵送したほか、それぞれの自宅に銃弾計10発を所持していた疑い。

 同庁幹部によると、3人は小学校からの幼なじみの零戦マニア。今年2月15日から9日間、零戦や艦船が沈んでいることで知られる同連邦チューク州の海域でダイビングし、水深約30メートルの海底に沈んでいた零戦などから、銃弾約120発と操縦席の計器類などを拾い集めたという。

 3人はこうして集めた銃弾などを段ボール箱に詰め、「コンピューター部品」と偽って国際郵便で会社員の男の自宅に郵送したが、成田空港の東京税関職員が発見し、通報した。同庁が約120発のうち一部を鑑定した結果、8発が破裂するおそれがあることが分かった。

 3人のうち足立区職員の男は3回、会社員の男も2回、これまでに同海域を訪れ、銃弾などを持ち帰っており、自宅で飾っていたという。3人はいずれも容疑を認めており、「零戦が好きでつい持ち帰ってしまった」と供述しているという。
いくら零戦(零式艦上戦闘機)が好きでも、法律を犯してはいけませんね。また、太平洋戦争中の沈没船や墜落機は一種の墓標。零戦マニアならば、静かに英霊を眠らせてあげる配慮も必要だと思います。

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2006年11月15日

特攻機の命中率

旧帝国陸海軍が太平洋戦争末期に行った航空機による体当たり攻撃(所謂「特攻」)の命中率が、米国立公文書館に保管されている米軍機密資料で明らかになったそうです。

Yahoo!ニュース −時事通信− 11月15日7時1分
旧日本軍の航空特攻作戦、命中効果率は56%=予想以上の戦果
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061114-00000162-jij-int
 太平洋戦争末期、劣勢の旧日本軍が多用した航空機の体当たりによる米艦への特攻作戦で、米軍が至近自爆を含む特攻機の命中効果率を半年間で56%と算定し、日本側推定を大幅に上回っていたことが、米国立公文書館に保管されている米軍機密資料で分かった。日本側は特攻初期のフィリピン海域での特攻命中率を26〜28%と推定していた。
 戦史家の原勝洋氏が入手したこの資料は、未公開分を含む米側撮影の特攻写真340枚とともに、15日発売の「写真が語る『特攻』伝説」(原勝洋著、KKベストセラーズ社)で公表される。
命中率56%・・・。これはかなりの脅威ですね。米軍が特攻機を恐れるわけです。特攻により命を失った日米双方の将兵のご冥福をお祈り致します。

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2006年09月22日

零戦の生産メーカー

大日本帝国海軍の傑作戦闘機「零式艦上戦闘機」(零戦)。この零戦を設計したのは三菱重工業であることは有名ですが、全ての零戦を三菱重工業が製造した訳ではありません。零戦の半分以上(3分の2)は、ライバル会社の中島飛行機で生産されています。

<零戦の生産数>
 三菱重工業:3,832機
 中島飛行機:6,800機

なお、中島飛行機は後の富士重工業(スバル)です。

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2006年09月16日

渡洋爆撃

渡洋爆撃とは、文字通り海を越えて敵国を爆撃することです。

第一次世界大戦においてドイツ帝国がツェッペリン飛行船でイギリス空襲をしたり、第二次世界大戦においてナチス・ドイツ(第三帝国)が爆撃機と戦闘機、V2飛行爆弾(ミサイルのようなもの)を使ってイギリス空襲をしています。しかしドーバー海峡(イギリスとヨーロッパ大陸間の海峡)は最狭部34kmと非常に狭い海峡であるため、現在これのことを渡洋爆撃と呼ぶ人はあまりいないと思います。

一般的に渡洋爆撃とは、日中戦争(北支事変、支那事変、日華事変)において大日本帝国海軍が中国(中華民国:蒋介石政権)の都市部に対して行った長距離爆撃のことを指します。大日本帝国海軍航空隊は多数の陸上攻撃機(九六式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機)を使い、日本本土(九州)の航空基地から東シナ海を越えて中国の都市を爆撃しました。九州から中国沿岸まではおよそ1,000km。このような長距離爆撃は世界初のことで、全世界の注目を浴びたそうです。なお、日本が中国沿岸部を占領し、そこに航空基地を設置してからは、日本本土からの渡洋爆撃は行われなくなりました。

ついでなので、中国沿岸部に移動してからの帝国海軍航空隊の活躍についてちょっと言及しておきます。帝国海軍航空隊は、その後も中国の蒋介石政権の息の根を止めるべく南京や重慶などに爆撃を行っていました。この頃、航空隊の司令をしていたのが、有名な山口多門提督や大西瀧治郎提督です。勇壮果敢な航空攻撃は、当初は赫赫たる戦果を上げていました。しかし英米の支援を受けた中国の迎撃戦闘機が活躍するようになってくると、防御性能が劣る九六式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機は次第に被害を受けるようになってきました。また、当時帝国海軍で使われていた戦闘機は九六式艦上戦闘機でしたが、陸上攻撃機に随伴するには航続距離が足りなかったので、敵戦闘機の攻撃から陸上攻撃機を護ることが出来ませんでした。この問題の解決のために開発が急ピッチで進められたのが零式艦上戦闘機(いわゆる零戦)です。後に零式艦上戦闘機は護衛戦闘機として陸上攻撃機に随伴し、敵戦闘機を圧倒的な優位で制圧、中国で初陣を飾りました。

なお、帝国海軍で言う「陸上攻撃機」(通称:陸攻)とは、「陸上を攻撃する航空機」ではなく、「陸上基地で運用する攻撃機」を意味します。そして帝国海軍で言う「攻撃機」とは「艦船に対する魚雷攻撃と水平爆撃が可能な航空機」を意味します。ですから、航空母艦で運用する攻撃機は「艦上攻撃機」(通称:艦攻)と言います。また、帝国海軍で言う「爆撃機」とは、「急降下爆撃が可能な航空機」を意味します。これも同じく、陸上基地で運用する爆撃機は「陸上爆撃機」、航空母艦で運用する爆撃機は「艦上爆撃機」(通称:艦爆)と言います。

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2006年05月07日

命中率約85%!

命中率約85%!。これは現代のミサイルの命中率ではありません。大日本帝国海軍機動部隊の艦上爆撃機の爆弾命中率です。

昭和17年3月26日、南雲中将率いる機動部隊(航空母艦:赤城、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴 注:加賀は修理中)はインド洋に進出。昭和17年4月5日にイギリス海軍の巡洋艦コンウォールと巡洋艦ドーセットシャーを発見し、これに対し九九式艦上爆撃機53機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機)を攻撃に向かわせました。この攻撃隊はほぼ全弾をこの2隻の巡洋艦に命中させ、巡洋艦ドーセットシャーを攻撃開始からわずか13分で撃沈、巡洋艦コンウォールも攻撃開始からわずか18分で撃沈しました。この攻撃における爆弾の平均命中率は88%と言われております。まさに神業です!

そして昭和17年4月9日には、イギリス海軍の航空母艦ハーミスと護衛駆逐艦3隻を発見。これに対し九九式艦上爆撃機85機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機、瑞鶴14機、翔鶴18機)と零式艦上戦闘機6機(蒼龍3機、飛龍3機)を攻撃に向かわせました。航空母艦ハーミスはこの航空攻撃であえなく撃沈。この攻撃における爆弾の平均命中率も高く、82%であったと言われております。

このように、太平洋戦争開戦当初の航空機搭乗員の錬度は非常に高度で、まさに「神業のレベル」でした。しかしこのような熟練搭乗員が度重なる作戦で消耗するにつれて、爆弾や魚雷の命中率、搭乗員の帰還率が極端に低下し、最後には航空機による体当たり攻撃(いわゆる特攻)に頼らざるを得なくなったのは実に残念なことです。

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2006年05月04日

真珠湾攻撃の動画

前回の記事で紹介した動画サイトに真珠湾攻撃の動画がありましたので紹介致します。かなり迫力のある動画ですが、元々は映画か何かのワンシーンのようです。

PearlHarbor1208_1
http://www.youtube.com/watch?v=6wWGS5t-ajw

PearlHarbor1208_2
http://www.youtube.com/watch?v=ycbkm1lvgmI

リンク切れの時はご容赦下さい。
動画サイトのトップページは以下の通りです。

YouTube - Broadcast Yourself.
http://www.youtube.com/

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2006年02月16日

艦上機と艦載機

帝国海軍の軍艦上で運用する航空機には、「艦上機」と「艦載機」の2種類があります。

●艦上機
 航空母艦に搭載される航空機を指します。
 発艦・着艦は、航空母艦の飛行甲板を利用します。
 主な機種:艦上戦闘機、艦上爆撃機、艦上攻撃機、艦上偵察機など

●艦載機
 戦艦や巡洋艦に搭載される水上機を指します。
 発艦はカタパルト、収容はクレーンを利用します。
 主な機種:水上偵察機、水上観測機など

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2005年10月08日

ヒ連送

ヒ連送」とは「」を連続して打電する暗号電文で「敵飛行機発見」を意味する。これも航空隊で使用される暗号であるが、「ト連送」のように勇ましいものではないことが多い。なぜならば、偵察機や爆撃機がこれを発する場合、発見した敵飛行機によって撃墜されることが多いのだ。

偵察機や爆撃機から「ヒ連送」を受信すると、司令部に緊張が走る。そして「ヒ連送」が途切れた時・・・司令部一同はしばし黙祷する。実に悲しい「悲連送」とも言える。
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ト連送

ト連送」とは「」を連続して打電する暗号電文で「全軍突撃セヨ」を意味する。
航空攻撃の時に指揮官機からこの電文が発せられ、これを合図に攻撃が開始される。
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トツレ

トツレ」とは、「突撃隊形ツクレ」を意味する暗号電文である。
航空攻撃の時に指揮官機からこの電文が発せられ、編隊が突撃隊形を作る。
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2005年10月02日

ラバウル航空隊?

多くの撃墜王を輩出して勇名を馳せ、軍歌にもなったラバウル航空隊。実は、帝国海軍に「ラバウル航空隊」という名前の航空隊は存在しないのである。

そもそもラバウル基地は、ニューギニアの東にあるニューブリテン島北部にあった基地です。太平洋戦争の緒戦において日本が占領し、ニューギニアのポートモレスビー攻略の拠点としました。そして、航空戦の最前線となったラバウル基地には、以下の5つの飛行場が存在しました。

・東飛行場(ラクナイ)
・西飛行場(ブナカナウ)
・南飛行場(トペラ)
・北飛行場(ケラバット)
・水上飛行場(ラバウル港)

そして、上記の飛行場に、以下の航空隊が展開しました(昭和17年の構成)。なお、今回は陸軍航空隊は除外しております。

<第1航空艦隊>
 [第22航空戦隊]
  ・美幌航空隊
  ・元山航空隊
 [第24航空戦隊]
  ・水上機母艦 神威
  ・千歳航空隊
 [第25航空戦隊]
  ・横浜航空隊
  ・台南航空隊
  ・水上機母艦 秋津洲
 [第26航空戦隊]
  ・三沢航空隊
  ・木更津航空隊
  ・第6航空隊

上記のように、ラバウル基地には飛行場も航空隊も確かに存在します。しかし、ラバウル基地に展開した航空隊は、ラバウル基地にいる航空隊ではあっても、ラバウル航空隊ではないのです。

例えば、美幌航空隊は元々は北海道の美幌を拠点とする航空隊です。その美幌航空隊がラバウル基地に移動・展開しても、帝国海軍の組織上は美幌航空隊のままであり、駐ラバウル基地美幌航空隊という扱いなのです。美幌航空隊はどこに行っても美幌航空隊なのです。ラバウル航空隊という航空隊が編成されない限り、ラバウル航空隊は存在し得ないのです。

ですから、「ラバウル航空隊」とは、ラバウル基地に展開していた航空隊の総称・愛称であって、帝国海軍の組織上は存在しない航空隊というわけです。

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撃墜王

多くの敵航空機を撃墜したパイロットのことを撃墜王(エース、エースパイロット)と呼ぶ。では、撃墜王と呼ばれるためには何機の敵航空機を撃墜しなければならなかったのか?

5機

である。意外に少ないと思ったそこのあなた、たった5機と侮る無かれ。静止している的を撃つのとは訳が違うのである。自分も敵も高速で縦横無尽に動き回る中、敵の未来位置を予測して機銃を発射し、命中させることは至難の業なのである。以下に帝国海軍の主な撃墜王(20機以上撃墜)を紹介する。なお、ここに掲載する撃墜数は自己記録で、公認記録の場合には撃墜数の後ろに(公)と表記しておく。

・西沢広義中尉・・・・・87機
・岩本徹三中尉・・・・・80機
・杉田庄一少尉・・・・・70機
・坂井三郎中尉・・・・・64機
・奥村武雄上飛曹・・・54機
・太田敏夫一飛曹・・・34機(公)
・杉野計雄飛曹長・・・32機
・石井静夫上飛曹・・・29機(公)
・武藤金義少尉・・・・・28機
・笹井醇一少佐・・・・・27機(公)
・赤松貞明中尉・・・・・27機
・菅野直中佐・・・・・・・25機
・荻谷信雄飛曹長・・・24機(公)
・杉尾茂雄中尉・・・・・20機

このように、帝国海軍では多くの撃墜王を輩出したが、戦争が長引くにつれ、パイロットの養成と補充が困難になった。そのため、ベテランパイロットを酷使する結果となり、過労のため撃墜王の称号を持つパイロットも多くが戦死または負傷した。そして日本はまともな航空戦を展開することが出来なくなり、敗戦を迎えるのである。

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零式艦上戦闘機二一型

帝国海軍の傑作戦闘機である零式艦上戦闘機。零式艦上戦闘機には、実は様々なタイプが存在する。太平洋戦争の緒戦を飾った真珠湾攻撃に使われたのは、零式艦上戦闘機二一型と呼ばれる機体である。ここで注意が必要なのは、「二一型」の読み方である。この型式の読み方は「にじゅういちがた」ではなくて「にーいちがた」なのである。最初の数字は機体のタイプ、後ろの数字は発動機(エンジン)のタイプを表しているのである。以下に零式艦上戦闘機の全タイプを記述する。

・零式艦上戦闘機 一一型(いちいちがた)
・零式艦上戦闘機 二一型(にーいちがた)
・零式艦上戦闘機 四一型(よんいちがた:試作のみ)
・零式艦上戦闘機 三二型(さんにーがた)
・零式艦上戦闘機 二二型(にーにーがた)
・零式艦上戦闘機 二二型甲(にーにーがたこう)
・零式艦上戦闘機 五二型(ごーにーがた)
・零式艦上戦闘機 五二型甲(ごーにーがたこう)
・零式艦上戦闘機 五二型乙(ごーにーがたおつ)
・零式艦上戦闘機 五二型丙(ごーにーがたへい)
・零式艦上戦闘機 六二型(ろくにーがた)
・零式艦上戦闘機 五三型(ごーさんがた)
・零式艦上戦闘機 六三型(ろくさんがた)
・零式艦上戦闘機 五四型(ごーよんがた)
・零式艦上戦闘機 六四型(ろくよんがた)

型式名の後ろに甲乙丙が付いているものは、搭載する武装が変わった事を意味しています。こう見ると、一口に零式艦上戦闘機と言ってもたくさんの機種が存在することが分かると思います。艦上攻撃機や艦上爆撃機、その他の航空機も同様に、様々な機種が存在するので注意が必要です。

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2005年10月01日

零戦

帝国海軍の傑作戦闘機である零戦(れいせん、ぜろせん)の正式名称は、零式艦上戦闘機です。その名の通り、航空母艦に載せて使用することを前提とした戦闘機です。ところで、零式とはどういう意味なのでしょうか?

帝国海軍、帝国陸軍では、兵器の名称に制式採用した年の下二桁を付けてるようにしていました。零式艦上戦闘機は、昭和15年(1940年)に制式採用されております。あれ?これだと一五式か四〇式になりそうですね。実は、制式採用年に用いられる年号は、西暦でも元号でもなく「皇紀」なのです。昭和15年は、ちょうど「皇紀2600年」だったので、下二桁は「00」。それをとって、零式艦上戦闘機と命名されたのです。太平洋戦争で使用された帝国海軍の主な航空機は以下の通りです。

昭和11年-西暦1936年-皇紀2596年 九六式艦上戦闘機(九六艦戦)
昭和11年-西暦1936年-皇紀2596年 九六式陸上攻撃機(九六陸攻、中攻)
昭和12年-西暦1937年-皇紀2597年 九七式艦上攻撃機(九七艦攻)
昭和14年-西暦1939年-皇紀2599年 九九式艦上爆撃機(九九艦爆)
昭和15年-西暦1940年-皇紀2600年 零式艦上戦闘機(零戦)
昭和16年-西暦1941年-皇紀2601年 一式陸上攻撃機(一式陸攻)
昭和17年-西暦1942年-皇紀2602年 二式飛行艇(二式大艇)
昭和18年-西暦1943年-皇紀2603年 局地戦闘機 雷電
昭和18年-西暦1943年-皇紀2603年 艦上攻撃機 天山
昭和18年-西暦1943年-皇紀2603年 艦上爆撃機 彗星
昭和19年-西暦1944年-皇紀2604年 陸上爆撃機 銀河
昭和19年-西暦1944年-皇紀2604年 局地戦闘機 紫電
昭和20年-西暦1945年-皇紀2605年 局地戦闘機 紫電改
昭和20年-西暦1945年-皇紀2605年 艦上攻撃機 流星

ところで、上記の一覧を見ると、妙なところがあります。感のイイ人は直ぐに気付いたと思いますが、昭和17年までは、航空機の名称に○○式と制式採用年が入っていますが、昭和18年以降は全てペットネームになっています。これは防諜のため、その兵器がいつ制式採用になったのかを敵国に知られないように命名規則を変えたためです。まぁ、昭和11年とか昭和15年に開発した機体で昭和20年まで戦争をしていたなんて、アメリカ軍もびっくりでしょうね。

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帝国空軍?

大日本帝国時代、日本に空軍はありませんでした。ですから、帝国空軍という物は存在しません。その代わり帝国海軍、帝国陸軍がそれぞれ航空隊を持っており、海軍航空隊陸軍航空隊を編成しておりました。

ところで、この海軍航空隊と陸軍航空隊、同じ日本の軍隊なのに、全くの別物です。まず、航空機の開発自体、別々に行っていました。そのため航空機の仕様、操縦法も違っていました。また、搭載する機銃も、海軍と陸軍で様々な口径の機銃を開発し、かつ、口径は同じなのに同じ弾丸が使えないなど、資源が無い割に無駄なことをしておりました。なお、資源豊富なアメリカ軍は機銃の種類は数種類に限定し、同一口径の機銃は同じ弾丸が使えるという効率的な仕様になっていたそうです。

また、航空機に搭載するエンジンのライセンス契約を帝国海軍と帝国陸軍で別々に結び、ドイツのダイムラーベンツ社に二重にライセンス料を支払うという間抜けなことをしていました。しかも、ダイムラーベンツ社からは「1ライセンス分でいいよ♪」と言われたのに、頑固にそれぞれが支払ったそうです。

そして太平洋戦争末期になると、海軍と陸軍で航空機製造のための予算と資材を取り合う状態となったそうです。資源があるアメリカが効率化を図り、資源の無い日本が複雑化させている。実に皮肉な状態ですね。

海軍航空隊に関する詳しい話は、また別の機会に書きます。

posted by 公爵 at 18:34| Comment(0) | TrackBack(1) | 航空機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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