2006年08月05日

真珠湾攻撃の予行練習

1941年(昭和16年)12月8日に大日本帝国海軍の機動部隊がハワイ真珠湾を攻撃しました。しかし、いかに練度の高い航空隊とは言え、いきなりぶっつけ本番で真珠湾攻撃をした訳ではありません。日本国内においてちゃんと予行練習を行ってから実施しました。

予行練習は日本国内の真珠湾と地形の似た海で行われました。その場所は鹿児島の「錦江湾」。「錦江湾」は真珠湾と似た地形だったので、ここで航空隊は低空侵入等の訓練を行ったそうです。

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2005年12月08日

太平洋戦争開戦!

本日、12月8日は太平洋戦争開戦日です。

1941年(昭和16年)12月8日、航空母艦6隻を主力とする日本海軍機動部隊(司令長官:南雲忠一中将)がアメリカ太平洋艦隊の根拠地であるハワイオアフ島の真珠湾を航空攻撃しました。

真珠湾攻撃の主な戦果は以下の通りでした。

<日本側の損失>
●航空部隊(出撃数:第一次攻撃隊:183機、第二次攻撃隊:167機)
 ・未帰還機:29機
 ・損傷:74機
 ・戦死:55名

●特殊潜行艇 甲標的(出撃数:5隻)
 ・未帰還:5隻
 ・戦死:9名
 ・捕虜:1名(酒巻和男少尉)

<アメリカ側の損失>
●戦艦
 ・ネヴァダ:大破後、自力航行して浅瀬に擱座。
  →1942年4月22日サルベージ。1942年12月戦列復帰。
 ・オクラホマ:転覆、沈没。
  →1943年3月サルベージ。1944年9月廃艦、1944年11月除籍。
 ・ペンシルバニア:大破、着底。
  →1941年12月20日サルベージ。1942年3月戦列復帰。
 ・アリゾナ:沈没。
  →サルベージ中止。引き上げ可能な装備を引き上げの後、除籍。
 ・テネシー:中破。
  →1941年12月20日サルベージ。1942年2月戦列復帰。
 ・カリフォルニア:沈没。
  →1942年3月サルベージ。1944年5月戦列復帰。
 ・メリーランド:中破
  →1941年12月21日サルベージ。1942年2月戦列復帰。
 ・ウエストバージニア:沈没。
  →1942年5月12日サルベージ。1944年7月戦列復帰。

●軽巡洋艦
 ・ラーレイ:大破、着底。
  →1942年7月戦列復帰。
 ・ホノルル:中破。
  →修理後戦列復帰。
 ・ヘレナ:大破。
  →修理後戦列復帰。

●駆逐艦
 ・カッシン:転覆、炎上。
  →1944年2月戦列復帰。
 ・ダウンズ:炎上、火薬庫誘爆。
  →1943年11月戦列復帰。
 ・ショウ:大破、艦首喪失。
  →1942年6月戦列復帰。

●機雷敷設艦
 ・オグララ:転覆、沈没。

●標的艦
 ・ユタ:沈没。

この頃、アメリカの同盟国イギリスはドイツと戦争中で、かなり追いつめられていました。しかしアメリカは、ヨーロッパの戦争には介入しないという主義(モンロー主義)と、戦争を嫌う国内世論のためにドイツに宣戦布告ができませんでした。しかしこの真珠湾攻撃によって日本と戦争状態となったため、国内世論も「リメンバー・パールハーバー」を合い言葉に一気に戦争に傾き、日本の同盟国ドイツに宣戦布告することができるようになりました。そのため、日本をABCD包囲網で締め上げ、日本に宣戦布告させたのはアメリカとイギリスの謀略ではないかと言われております。

また、アメリカは真珠湾攻撃自体の情報も事前に察知していたとの話もあります。日本に先に攻撃させて、大義名分を得てから攻撃するために、あえてハワイ真珠湾の海軍司令部には何も知らせなかったと言われておりますが、真相は未だ謎です。年々秘密文書が公開されていますので、その内真相が分かるのではないかと思われます。

<公爵の独り言>
アメリカは撃沈された艦船をほとんどサルベージして戦列に復帰させています。アメリカの工業力は凄いですね。歴史に「IF」は禁物ですが、第三次攻撃隊を編成して、石油備蓄基地と海軍工廠も破壊しておけば、その後の戦争が有利に展開できたのではないかと思います・・・。

posted by 公爵 at 17:26| Comment(0) | TrackBack(2) | 作戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月09日

同航戦と反航戦

同航戦とは、敵味方が同じ方向に向かって移動しながら戦闘を行うことを言う。敵味方の速度が同じ場合、相対速度がゼロになるので照準を付けやすい。戦闘時間は比較的長い。

■同航戦
 >→>(敵の進行方向)
 >→>(味方の進行方向)

反航戦とは、敵味方がすれ違いながら戦闘を行うことを言う。相対速度が速く、照準を付けることが難しい。すれ違うタイミングでしか戦闘出来ないので、戦闘時間は比較的短い。

■反航戦
 >→>(敵の進行方向)
 <←<(味方の進行方向)

艦隊戦でも航空戦でも使用される用語です。
posted by 公爵 at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 作戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月08日

トラトラトラ

トラトラトラ」とは、ハワイ真珠湾攻撃の時に使われた暗号電文である。
意味は「我奇襲ニ成功セリ」。真珠湾攻撃を描いた映画のタイトルにもなっている。

<補足>
「トラ」の「ト」は「突撃」、「ラ」は「雷撃機」を意味しているそうである。
また「千里征って帰る虎になぞらえた」という説もある。

あと、奇襲の場合、強襲の場合、失敗の場合の暗号電文が存在するとのこと。
現在は調査不足なので、分かり次第追記します。

posted by 公爵 at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 作戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月04日

ニイタカヤマノボレ

ニイタカヤマノボレ(新高山登れ)」とは、帝国海軍各部隊に太平洋戦争開戦日(ハワイ真珠湾攻撃開始日)を知らせた帝国海軍の暗号電文である。

太平洋戦争前夜、南雲忠一中将を司令長官とする帝国海軍機動部隊が択捉島単冠湾(ヒトカップ湾)を出撃した。機動部隊は6隻の空母(赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴)を擁する大艦隊。目的地はハワイ真珠湾。無線封止(受信可)をして、密かに北太平洋を東進した。

機動部隊はハワイ真珠湾を攻撃する意図を持って航行しながらも、最後まで日米の外交交渉の結果を見守っていた。南雲司令長官は連合艦隊司令長官山本五十六大将から

日米外交交渉が纏まったら、攻撃を中止して引き返してくること!

と厳命されていたからである。そして、もし外交交渉が決裂した場合には日米開戦とし、日米開戦日を暗号電文で知らせることになっていた。その暗号が、

ニイタカヤマノボレ一二〇八

だったのである。これは、

日米開戦日を12月8日とする

という意味である。結局、日本の外交努力も虚しく日米の外交交渉は決裂し、連合艦隊旗艦戦艦長門からこの暗号電文が発せられた。昭和16年(1941年)12月8日、帝国海軍機動部隊は空母搭載機でハワイ真珠湾を攻撃。太平洋戦争が開戦された。

なお「ニイタカヤマ」は、当時日本領だった台湾にある「新高山(玉山)」のことである。標高3,952メートルで富士山より高く、当時は日本一高い山だった。

posted by 公爵 at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 作戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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